ヘブライ人への手紙説教01 2022年1月2日
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。
神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
ヘブライ人への手紙第1章1-4節
説教題:「神は御子によって語られた」
明けましておめでとうございます。
新しき年を、心を新たにして、共に歩みましょう。
わたしたちの教会は、1月30日に会員総会を開きます。それに備えて年報作りが始まっています。
今、わたしは、教会目標と聖句について考えています。
ヘブライ人への手紙を説教する準備を進める中で、昨年度の教会目標と聖句を思い返しました。そして、わたしは主イエスに感謝しました。
主イエスは、わたしたちが忘れていても、覚えていてくださいました。昨年の教会目標は「今の苦難の中で神の慈しみを信じ、希望をもって歩む教会」であり、聖句は旧約聖書の哀歌の第3章31-33節でした。「主は、決して あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、 懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても それが御心なのではない。」
主イエスは、コロナウイルスの災禍の中で礼拝と伝道において苦難の中にあるわたしたちに一人の召天者と一人の洗礼者をお与えくださいました。
主イエスは憐れみと慈しみをわたしたちの教会に注いでくださり、一人の兄弟の信仰を70年間守られ、御国へと導かれました。今年の春に兄弟を教会の墓地に納めます。
兄弟の70年間の信仰生活を通して、わたしたちは哀歌の聖句、すなわち、神の御言葉が真実であることを知らされました。
一人の兄弟が4年間の求道生活を経て、昨年クリスマスに受洗され、わたしたちの教会の会員となられました。わたしたちは主イエスの憐れみを体験しました。わたしたちの弱さの中で主イエスは恵みを発揮してくださいました。
さて、ヘブライ人への手紙は、苦難の中にある教会を励ます説教です。この世の誘惑と試練の中で落ちこぼれようとする兄弟姉妹たちに、信仰の確信を持たせて、彼らに誇りを与えるための励ましの説教です。
ヘブライ人への手紙の記者は、13章22節で、こう述べています。「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください。実際、わたしは手短に書いたのですから。」
「勧めの言葉」とは礼拝の説教のことです。
使徒言行録は13章15節で、次のように使徒パウロとバルナバが安息日にユダヤ人の会堂で礼拝説教したことを記しています。「律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、『兄弟たち、何か会衆のために励まし言葉があれば、話してください』と言わせた」。そこでパウロが立ち上がって会衆に説教しました。
どうか、ヘブライ人への手紙を、あなたに語られた説教として、お聞きください。今のあなたの信仰を励ます説教としてお聞きください。上諏訪湖畔教会で信仰を持って歩むもうとするあなたに、確信と希望に満ちた誇りを与えるために、この手紙の作者が語りかける説教に耳を傾けてください。
この励ましの言葉こそ福音です。わたしたちへの神の喜びの訪れです。
説教が語られ、そこで福音としての主イエス・キリストが提供されています。わたしたちがその説教を聞きますとき、主イエス・キリストは説教を聞きますわたしたちと共いてくださいます。
ヘブライ人への手紙の冒頭の御言葉に目を留めてください。
ヘブライ人への手紙は、わたしたちに神は語られたと記しています。
聖書の神は、神社の神々のように鎮座され、沈黙されているお方ではありません。神は人間に語りかけられます。この神の語りかけを、特別啓示と言います。神の救いの御言葉です。
ヘブライ人への手紙は、1章1‐2節前半でこう記しています。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」
神は、昔、旧約聖書の時代に人に語りかけられ、今この世の終わりである新約聖書の時代に語りかけられています。
神は、昔旧約聖書において預言者たちを通して、言葉や幻、契約や神殿の祭儀等の方法で、神の民イスラエルに、メシアである主イエス・キリストの良き訪れと救いを語られました。
しかし、この世の終わり、すなわち、キリストがこの世に訪れられると、神は御子主イエス・キリストを通してわたしたちに語られました。
「預言者たち」を、申命記18章18節で主なる神はモーセに次のように約束されました。「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。」
ヘブライ人への手紙は、モーセやモーセのように神の御言葉を語る預言者たちだけではなく、アダムやノア、アブラハム、ダビデを預言者と見做しています。いろんな仕方で神の民イスラエルに主の救いを伝えた者たちです。
そして、終りの時に、今の新約の時代です。神の御子主イエス・キリストがこの世に訪れられて、終りの時が来ました。神は、わたしたちに御子主イエス・キリストを通して語られました。父なる神の御子として、主イエスは御言葉と御業によってわたしたちに父なる神の愛と救いを語られました。
2節後半と3節は、神が御子を通して語られた、御子について説明する文章です。
御子は、昔の預言者たちよりはるかに優れたお方であると、説明しているのです。次のように述べているのです。
第一に御子主イエスは万物の相続者です。これは、詩編第2章7-8節の御言葉を根拠としています。
「主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。『お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし 地の果てまで、お前の領土とする。』」
主イエスは復活され、11弟子たちとガリラヤで再会されました。復活の主イエスは彼らに大宣教命令を下されました。その時主イエスは、言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28:18)と。
ヘブライ人への手紙の作者は、主イエスが十字架と復活の御業を通して贖いを成し遂げられた後に、主イエスは神によって万物の相続者に定められたと述べているのです。すなわち、万物の一切を支配なさっていると述べています。
第二に御子主イエスによって世界が創造されたことです。御子主イエス・キリストは、世界の創造者です。主イエスは万物の創造者、源として、わたしたちの世界を支え、守られているのです。
ヘブライ人への手紙は万物の相続者であり、この世界の創造者である御子を通して、父なる神がわたしたちの救いのために働かれていることを伝えようとしているのです。
この御子主イエスを通して以外に、わたしたちが父なる神と和解し、罪を赦されて、救われ、御国に入れる道はないのです。
今朝の礼拝でも神は、主イエスを通してわたしたちに語られています。そしてこの後聖餐の食卓においても神は主イエスを通してわたしたちに語られ、神の御国へとお招きくださっているのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、新年礼拝よりヘブライ人への手紙を学べる事を感謝します。
どうか、わたしたちがヘブライ人への手紙を通して、主イエス・キリストとその救いの御業を通して、神の御言葉を聞き、信仰の励ましを得られるようにしてください。
これから聖餐式の恵みに与かります。どうかわたしたちを聖餐の食卓に招かれるお方がわたしたちの救い主であるだけではなく、万物の創造者であり、相続人であることを心に留めさせてください。
今朝の御言葉によって、神の救いを確信し、聖餐の恵みによってわたしたちの国籍が天にあることを確信させてください。
その確信によって、わたしたちが上諏訪湖畔教会の群れとして、信仰に生きることに誇りを持たせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ヘブライ人への手紙説教02 2022年1月9日
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。
神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
ヘブライ人への手紙第1章1-4節
説教題:「御子は父なる神と同等の御方です」
新年の第一主日礼拝からヘブライ人への手紙を学び始めました。四福音書や使徒パウロの手紙に比べて、ヘブライ人への手紙の説教を聞くことは少ないでしょう。初めての方もあるでしょう。
わたし自身、牧師として初めてヘブライ人への説教を試みました。
ヘブライ人への手紙の第1章1-4節は、この手紙の序章です。前置き、初めの部分です。
普通手紙の前置き、初めの部分には、手紙の作者が自己紹介の挨拶をし、宛名の教会やキリスト者たちへの挨拶があります。ところが、ヘブライ人への手紙は、それらが一切ありません。手紙の挨拶が欠落しています。
しかし、ヘブライ人への手紙の作者は、手紙の後書きで挨拶を記しています。それで、手紙だと分かるのです。
ヘブライ人とは、神の民ユダヤ人のことです。さらに正確に言えば、ユダヤ人キリスト者のことです。
この手紙の終わりに、「イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。」と記しています。どこに住むユダヤ人キリスト者たちに宛てて書かれたのかは不明ですが、ある特定の者たちに宛てて書かれたものです。
先週もお話ししましたが、この手紙は「励ましの言葉」です。書かれた説教です。この手紙は書かれた説教として、ある特定のキリスト者たちの信仰を励まし、慰め、彼らに信仰の確信と誇りを持たせるために書かれました。
わたしは、この手紙の出だしが素晴らしいと思うのです。この手紙は、こう記しています。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」
ヘブライ人への手紙は、わたしたちにこう訴えているのです。神が旧約の時代には預言者たちを通して、そして新約の時代には御子を通して語られたから、この世に神の民イスラエルが存在し、キリスト教会が存在し、キリスト者である私たちが存在しているのだと。
わたしは、たまに聞かれます。「先生、説教を聞いて何になるのですか」と。そして、「何の役にも立ちません」と言われます。わたしは、その声に納得します。「まことに」と。
説教がこの世の人に役立つものであれば、上諏訪湖畔教会の礼拝は、いつも人でいっぱいでしょう。しかし、現実は今日もこの数です。
このわたしたちの教会を、書かれた説教によって励ましてくれるのが、ヘブライ人への手紙です。
月に一度詩編の説教を続けています。詩編の詩人が世の人々に嘲られて、「お前の神はどこにいる」と言われました。彼は堂々と答えることができません。しかし、彼は今絶望に陥る中で神の御声を聞くことを祈り求めているのです。
神の民イスラエルは、モーセを通して彼らに語りかけられる神の御言葉によって生まれました。彼らは、神の励ましの言葉によって、奴隷の地エジプトから解放されました。そして、シナイ山に導かれて、主なる神に出会いました。そして、彼らは主なる神から十戒を授けられ、約束の地カナンへと導かれたのです。
主なる神は、モーセのような預言者たちを彼らの同胞から起こされ、彼らを通して語り続けられました。そして、神の民は、神が預言者たちを通して語られるのを聞いて、12部族からダビデ王国へと形づくられました。しかし、神が預言者たちを通して語られた御言葉に、彼らが背を向けると、主なる神は彼らを異邦人の王たちの手に渡され、彼らは捕囚の民となりました。そして、彼らは捕囚の地でも数々の預言者たちを通して語られる神の御言葉を聞くことによって、神の民イスラエルとして、この世界に存在し続けたのです。
そして、預言者たちが語って来た終わりの時代が来たのです。神が御子を通してわたしたちに語られる時代が来ました。
神が御子を通してわたしたちに語られることは、二段階あります。御子が直接に語られる段階と御霊と御言葉を通して語られる段階です。
第一の段階はクリスマスに訪れました。神の御子主イエス・キリストがこの世に来られたことです。
キリストは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。その時に聖霊が鳩の形で主イエスに留まられました。天から父なる神の声がしました。「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。
こうして神は、この御子を通して語られました。十二弟子たちやガリラヤの民衆に、そして敵対するファリサイ派の人々に。
そして、ヘブライ人への手紙が1章3節で「人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」と記していますように、天に帰られた主イエスは、聖霊をこの世に遣わされました。神は、キリストの霊である聖霊を通して語られています。それが説教であり、教会の福音宣教です。
これが御子を通して神が語られる第二段階です。ペンテコステの日に聖霊が下られて以後、聖霊が使徒たちの説教を通して語られました。そして、今も聖霊は教会の福音宣教を通して、わたしたちに語られています。
このように神が預言者や御子を通して語られて、神の民イスラエルがこの世に存在し、キリスト教会とキリスト者たちが存在しているのです。
神が語られることは、神が御自身をわたしたちに知らされることです。神は、この世の終わりに御自身を御子として現わしてくださいました。そしてわたしたちを御子の十字架の贖いによって罪を清めてくださり、御子の復活を通してわたしたちに永遠の命をお与えくださり、わたしたちを神に近づけてくださり、御国へと導いてくださっているのです。
ヘブライ人への手紙は、わたしたちに2節後半から3節で次のように御子の偉大さを伝えています。「神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」
神は御子を万物の相続者に定められました。御子は万物を統治されています。その万物は御子を通して創造されました。御子は万物の創造者、根源です。
更にヘブライ人への手紙は、わたしたちにこう言っています。「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって」と。「神の栄光の反映」とは、ナザレの主イエスのことを言っているのです。歴史において存在した主イエスは、神の永遠の御子であり、父なる神と同等の御方であるというのです。だから、主イエスの内に父なる神の栄光が輝いているのです。だから、わたしたちは信仰によって主イエス・キリストを見るとき、父なる神と同等であるお方として、主イエスを仰ぎ見るのです。
「万物を御自分の力ある言葉によって支えておられます」とは、御子が万物を摂理の御業によって保持し、支えられていることです。
主イエスは、一羽の雀も、一輪の野の花も、神の御心がなければ、捕らえることも枯れることもないと言われました。その主イエスの御言葉によって、主イエスは万物を保持され、支えられているのです。
御子は、大祭司として、王として父なる神の右に着かれたのです。だから、御子は大祭司として、御自身の十字架によって、わたしたちの贖いを完成されました。わたしたちの罪を清められ、わたしたちを父なる神に近づけてくださるのです。
そして御子は王として、神に近づけられたわたしたちを、最後の審判において罪なき者とし、御国の相続者としてくださるのです。
このようにヘブライ人への手紙は、わたしたちに次のことを訴えているのです。御子イエス・キリストは、御父なる神と同等の御方であり、御自身の十字架の御業によってわたしたちを父なる神と和解させ、御自身が復活し、そして、父なる神の右に座されることで、わたしたちに神の永遠の救いの保証となって下さったのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、ヘブライ人への手紙を学べる事を感謝します。
どうか、わたしたちがヘブライ人への手紙を通して、わたしたちに御子を通して語られる神との交わりに、わたしたちの命とこの世における存在があることに気づかせてください。
御子が万物の創造者、わたしたちの救いの完成者として、御父なる神と同等の御方として、この世界と教会を統治されていることを心に留めさせてください。
神が御子を通して語られ、神が御子を通してこの世と教会を統治されるゆえに、この世に教会があり、わたしたちキリスト者が存在していることを信じさせてください。
この信仰の確信によって、わたしたちに上諏訪湖畔教会の教会員として生きることに、誇りを持たせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ヘブライ人への手紙説教03 2022年1月16日
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。
神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
ヘブライ人への手紙第1章1-4節
説教題:「御子は神の右の座に着かれた」
主日礼拝にブライ人への手紙を学び始めて、第三回目です。この手紙の序章、初めの部分を続けて学んでいます。
今朝は、2節後半から3節の「キリスト賛歌」に注目しましょう。
キリスト賛歌とは、初代教会のキリスト者たちがキリストを賛美していた歌です。それを、使徒パウロはフィリピへの信徒の手紙2章6-11節で以下のように引用しています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」
このキリスト賛歌には、キリストの先在、すなわち、キリストが父なる神の御子であられたこと、それから神の御子が人となられたという降下、すなわち、へりくだり、そして、天に高く上げられて、父なる神の右の座に着かれたという高挙が歌われています。
ところが、ヘブライ人への手紙は、キリストの先在と高挙しか歌われていません。「人々の罪を清められた後」を、キリストの降下、へりくだりと解釈するなら、パウロのキリスト賛歌と同じです。
ヘブライ人への手紙は、「天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」と、キリストの高挙を強く主張しています。
それは、5節の御言葉を際立たせるためです。「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。」
ヘブライ人への手紙が初代教会のキリスト賛歌を引用しているのには意味があります。それは、こういう理由です。先在のキリスト、すなわち、永遠の神の御子と高く上げられて父なる神の右の座に着かれた地上の御子キリストとは同じ御方であることを述べるためです。
先在の永遠の御子は創造者です。御子は父なる神と神が創造された世界の仲保者です。同様に高く天に上げられ、神の右の座に着かれた地上の御子は、大祭司として父なる神とわたしたちとの和解者です。同じ御方が、万物を創造し、御言葉によって支えられ、大祭司としてわたしたちの罪を清めて、父なる神に執り成してくださるのです。
このようにヘブライ人への手紙がわたしたちに序章において伝えたいことは、こうです。永遠の御子キリストが、地上のナザレの主イエスと同じ御子であり、高く天に上げられ偉大なる神、すなわち、父なる神の右の座に着かれた御子と同じ御方であるということです。
ヘブライ人への手紙は、「人々の罪を清められた後」に御子が高く天に上げられ、偉大なるお方、すなわち、父なる神の右の座に着かれたと述べています。
「罪を清められた」は、和解、償いを扱う言葉です。神殿での犠牲奉献を表わす言葉です。大祭司キリストは、御自身がわたしたちの罪を償う犠牲となられました。また、大祭司が年一度至聖所に入り、神の民たちの罪を執り成したように、わたしたちの罪のためにただ一度死なれたのです。そのキリストの十字架の血によって、わたしたちは罪を清められました。
だから、ヘブライ人への手紙は、わたしたちに10章22節でこう勧めているのです。「心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」
このようにヘブライ人への手紙は、この序章でこの手紙の主題を述べているのです。大祭司としてキリストの十字架の和解の御業とそのキリストが高く上げられて、父なる神の右の座に着かれて王になられたことが、わたしたちの罪の赦しと永遠の命の保証であるということです。
十字架のキリストが高く上げられ、偉大なお方、すなわち、父なる神の右の座に着かれる。これこそがヘブライ人への手紙にとってはわたしたちの福音だったのです。
キリストは大祭司として、わたしたちの罪を清めてくださるだけではありません。そのお方が高く天に上げられ、父なる神の右の座に着かれ、御国の王となられたのです。父なる神に代わって、神が造られたこの世界と神が救われた教会の王となられたのです。
十字架のキリストの和解の御業によってわたしたちは罪を赦され、清められました。それゆえにわたしたちの良心は罪に対する神の刑罰を恐れる必要はありません。
むしろ、十字架のキリストは、天高く上げられ、世界と教会の王となり、わたしたちを御国に、永遠の命に導く保証となられたのです。
だから、わたしたちは、恐れることなく、毎週の主日礼拝に出ることを許されているのです。神に近づくことが出来るのです。
わたしたちの罪を赦し、わたしたちに永遠の命を保証してくださる大祭司で、御国の王である御子キリストは、天使よりも優れた者となられました。キリストは、御国の王として天使たちの上に立つ御方です。その御名は、永遠の父なる神の御子です。
旧約の時代には、神の御使いたちが主なる神と神の民たちの仲立ちをしました。しかし、新約の時代は御子だけがわたしたちを父なる神と和解させてくださる仲保者なのです。
それを証明するために、1章5-14節まで旧約聖書の御言葉が引用され、御子が天使にまさることを、ヘブライ人への手紙は証明しようとしているのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、ヘブライ人への手紙を学べる事を感謝します。
どうか、わたしたちがヘブライ人への手紙の序章を通して、十字架と神の右の座に着かれる御子キリストがわたしたちの大祭司であり、王であられることを信じさせてください。
御子キリストのみに、罪の赦しと永遠の命の保証があることを確信させてください。。
この信仰の確信によって、わたしたちが上諏訪湖畔教会の教会員として生きることに、誇りを持たせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ヘブライ人への手紙説教04 2022年2月6日
御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。また天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものはやがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったのですか。
ヘブライ人への手紙第1章4-14節
説教題:「御子は天使にまさる」
主日礼拝で3回にわたってブライ人への手紙第1章1-4節の序章を学びました。序章の主題は、神は語られた、です。昔は預言者たちを通して、今は御子を通して。そして、この御子主イエスがわたしたちのために罪の清めを実現し、今は父なる神の右に座されているのです。だから、御子主イエスは、神の御使いにまさるお方です。御子という御名は、御使いの御名にまさるのです。
ヘブライ人への手紙は、渡し言葉という手法で1章4節の御子が天使にまさることを聖書の御言葉に基づいて5-14節で論証しようとしています。
渡し言葉というのは、直接前後で、1章4節と5節で「天使」という言葉が反復されることで序章と5-14節の二つの部分のつながりを印す言葉同志のことです。「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。」(4節)と「いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。」(5節)。
1章4節は序章の終わりを示し、1章5節は5-14節の主題を示しています。
ヘブライ人への手紙は、1章4節の御言葉を証明するために、5-14節で旧約聖書の御言葉を引用しています。
この旧約聖書の引用は、すでに初代教会が編集していた旧約聖書からのキリスト証言の証明章句なのか、どうか、確かなことは分かりません。可能性としてはヘブライ人への手紙がそこから御子が天使にまさることを証言する御言葉を選んで引用したと考えることはできるでしょう。
5-14節の御言葉は、5節と13節の「神はかって天使のだれに・・言われたでしょうか」という御言葉で包み込まれています。これは、「包み込み」という手法です。本文を輪郭づける部分の初めと終わりを明確に記しているのです。
御子が天使にまさるという旧約聖書の御言葉による第一の証明を明確に記しているのです。
5-14節の御言葉は、三つに区分できます。5-6節、7-12節、13-14節です。
5-6節は、三つの引用聖句があります。5節前半の詩編第2編7節と後半のサムエル記下の7章14節、そして6節の第三の引用文です。第三の引用文は複数です。申命記32章43節と詩編第97編7節です。
旧約聖書の引用は、ヘブライ語本文からではなく、70人訳のギリシャ語本文からの引用です。
5節の詩編第2編7節は、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」です。
これは、王の即位式という背景があります。古代のイスラエルにとって王の即位は、神が王を神の子として生むことを意味しました。
だから、5節後半でサムエル記下7章14節の「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」という御言葉が引用されています。これは、主なる神が預言者ナタンを通してダビデに約束された御言葉です。
この二つの引用聖句は密接に結びついています。そして共にキリストを証しします。ヘブライ人への手紙の1章3節でキリストは「天の高い所におられる大いなる方の右の座に着かれました」。キリストが天で王に即位され、キリストこそが父なる神の真の御子であることを明らかにされました。
天使は主なる神の御言葉を伝える御使いにすぎませんが、主イエス・キリストは父なる神の御子です。主イエスは、天使にまさるお方です。
天使は、キリストに勝らないだけではなく、キリストを礼拝しなければなりません。
6節で申命記32章43節と詩編第97編7節が引用されています。「更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました」(6節)。
申命記32章43節にはありません。詩編97編7節も表現が違います。長子と御子は同じです。主イエスは、父なる神の御子であり、真の相続者である長子です。「この世界に送るとき」とは、ヘブライ人への手紙の1章3節から理解すると、キリストの再臨の時でしょう。王であり、審判者であるキリストが再臨される時、天使たちは皆、再臨のキリストを礼拝せよ」と主なる神は命じられました。
ヘブライ人への手紙は、わたしたちが持っています聖書からはメシア預言と思われない箇所を、初代教会が70人訳のギリシャ語旧約聖書からメシア預言として自由に引用しているのです。わたしたちは、初代教会のキリスト者たちがどのように70人訳のギリシャ語の旧約聖書をキリストから読み解いていったかを見ることができます。
わたしたちも、聖霊に導かれ、翻訳聖書をキリストから読み解くことが許されています。御子は、天使にまさるのみでなく、わたしたちの王として、審判者として、再びわたしたちの世界に来られるのです。
わたしたちは、この後聖餐式を行います。わたしたちのために十字架で死なれたキリストは、御国の王として、わたしたちの救いの完成者として再びこの世界に来られるのです。
今、父なる神の右の座に着かれている主イエスこそ、究極の権力者です。天使もわたしたちも、御子が来られた時、御子を礼拝し、賛美するのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、ヘブライ人への手紙第1章4-14節を学び始めました。御子主イエス・キリストが天使にまさるお方であることを学ぶことができて感謝します。
どうか、わたしたちが父なる神の右の座に着かれている御子主イエス・キリストがわたしたちの王であられ、御国の完成者であられることを信じさせてください。
そして、この後の聖餐式において御子主イエスの十字架と復活がわたしたちの罪の赦しと永遠の命の保証があることを確信させてください。
この信仰の確信によって、わたしたちが上諏訪湖畔教会の教会員としてこの世に生きることに、誇りを持たせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ヘブライ人への手紙説教05 2022年2月13日
御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。また天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものはやがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったのですか。
ヘブライ人への手紙第1章4-14節
説教題:「天使の役割」
前回よりヘブライ人への手紙第1章4-14節の御言葉を学び始めました。「天使」という言葉を、渡し言葉として、ヘブライ人への手紙は御子主イエス・キリストが天使よりも優れたお方であることを、70人訳旧約聖書の御言葉を引用して論証しようとしています。
第一の引用は、5節前半です。詩編第2編7節です。第二の引用は、5節後半です。サムエル記下7章14節です。この二つの御言葉はイスラエルの王の即位式を背景にしています。王に即位することは神の子となることでした。わたしたちの御救いを成し遂げられた御子キリストは昇天され、父なる神の右に座されました。御国の王に即位されました。キリストは神の御子という称号を受け継がれました。それゆえに神の御使いである天使よりも優れたお方だと、ヘブライ人への手紙は述べているのです。
6節は、70人訳聖書の申命記32章43節と詩編96編7節(わたしたちの聖書は詩編97編7節)の引用です。初代教会の聖書は70人訳のギリシャ語旧約聖書でした。初代教会のキリスト者たちは、ギリシャ・ローマ世界に生きています。ギリシャ語、ラテン語が彼らの言語です。彼らはヘブライ語旧約聖書をギリシャ語に翻訳して読んでいたのです。
彼らは、70人訳のギリシャ語旧約聖書を読むために、多くの写本を作りました。ヘブライ人への手紙の作者は、その多くの写本の中から旧約聖書の御言葉をそのまま引用して、御子キリストは天使にまさることを論証しているのです。
ヘブライ人への手紙の旧約聖書の御言葉の引用は、初代教会のキリスト者たちがキリストから旧約聖書の御言葉をどのように読みと解いていたかを知る一つの手がかりだと、わたしは思うのです。
6節は、再臨のキリストに言及しています。御子キリストは王として再びこの世界に迎えられます。御子は造られた世界のすべてのものを裁かれるお方です。神は天使たちにこの御子を礼拝するようにお命じになられました。
このように御子キリストは、神の御使いである天使が神として礼拝すべきお方なのです。
次に今朝は、続いて7-12節と13-14節の御言葉を学びましょう。
ヘブライ人への手紙は、7-12節で、さらに続けて70人訳旧約聖書の御言葉を引用し、天使と御子を比較し、御子が天使にまさることを論証します。そして13節でこの論証に決着が付けられています。そして、14節でヘブライ人への手紙は天使の役割を述べて、次の2章1-4節の御言葉へと繋いでいるのです。
5節と6節の「言われた」の主語は、神です。神は御子が天使にまさると言われたのです。
7節と8節の「言われ」、「言われた」の主語も神です。7節で神は、天使についてこう言われました。神が言われた御言葉は、70人訳旧約聖書からの引用の御言葉です。
「また天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ」(詩編103編4節)
わたしたちの聖書では詩編104編4節の御言葉の引用です。「さまざまな風を伝令とし 燃える火を御もとに仕えさせられる。」
詩編104編は、主なる神が世界を創造されたと賛美しています。ですから主なる神は、創造されたすべてのものを意のままに支配されると賛美します。
ヘブライ人への手紙は、1章2節後半で「御子によって世界を創造されました」と述べています。ですから詩編104編の万物の創造者なる主なる神は、御子キリストです。
御子は万物の創造者なる主なる神であり、御自身が造られた霊である天使を伝令として、御自身に仕える燃える炎として意のままになさいます。天使は御子に造られたものであり、御子に仕える者にすぎません。
それに対して神は、御子については8-9節でこう言われます。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」
ヘブライ人への手紙は70人訳旧約聖書の詩編44編7-8節を引用しています。70人訳旧約聖書は、ヘブライ語の旧約聖書を逐語訳していますので、わたしたちの聖書では詩編45編7-8節とほぼ同じです。
「神よ、あなたの王座は世々限りなく あなたの王権の笏は公平の笏。神に従うことを愛し、逆らうことを憎むあなたに 神、あなたの神は油を注がれた 喜びの油を、あなたに結ばれた人々の前で。」
詩編45編は王の婚礼の歌です。王は真理と正義を守り、敵を打ち負かす万能の勇士です。王は、その支配において公平を司り、悪を憎むために王座と王権の笏を授けられます。王は神によって喜びの油を注がれ、王の仲間の前で神によって義とされます。
この詩編を、ヘブライ人への手紙は御子キリストの永遠の王位即位式として歌っているのです。
田川健三氏は、次のように訳されています。「他方では御子に対して、『汝の座、神、永遠から永遠へ。直正の杖は汝の王杖、汝は正義を愛し、不法を憎んだ。この故に汝の神である神は汝に油を注いだ。喜びの油を。汝の仲間にではなく。』」
「汝」は御子です。御子は、ヘブライ人への手紙1章3節で御救いを成し遂げて、天に昇天し、父なる神の右の座に着かれ、永遠の王に即位されました。
御子は永遠の王として神の王座に着かれたのです。その王座は永遠に続くのです。それゆえに御子は、あらゆるものを越えた偉大なお方なのです。御子の支配は正義を愛し、悪を憎むものです。その御子に、神は油を注がれ、永遠の王とされたのです。
10-12節は、70人訳旧約聖書の詩編101編26-28節の御言葉の引用です。「また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものはやがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」」
わたしたちの聖書では詩編102編26-28節です。「かつてあなたは大地の基を据え 御手をもって天を造られました。それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると すべては替えられてしまいます。しかし、あなたが変わることはありません。」
102編は教会の7つの悔い改めの詩編の一つです。貧しい者の祈りの詩編です。引用された御言葉は、神の民の子孫の行く末を確かなものとしてくださる創造主なる神を賛美しています。
ヘブライ人への手紙は、この引用の御言葉によって創造主なる御子の永遠性をほめたたえ、天使にまさることを論証しているのです。創造主なる御子は永遠の存在で、変わることなく永遠に存在し続けられます。しかし、天使は御子に創造されたものであり、創造された世界と同様に、有限で滅ぶべきものです。
13節は、70人訳旧約聖書の詩編109編1節の御言葉の引用です。「神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。」
わたしたちの聖書では詩編110編1節です。「わが主に賜った主の言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。』」
メシア預言として新約聖書において最も多く引用される御言葉です。「わが主」とはダビデ的王です。メシアです。この職務は油を注がれて、付与されました。
御子キリストは、洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けられた後、天の父なる神がキリストに「わたしの心に適う者」と宣言され、聖霊がハトの形で御子キリストに降られ、聖霊の油を注がれて、メシアの職に就かれ、わたしたちの御救を成し遂げてくださいました。
そして今天に昇られた御子は、永遠の王座に着かれ、王として教会の福音宣教を通してすべての敵を御自身の足下の置かれるのです。
御子キリストのこの支配は、教会の福音宣教を通してなされます。主イエスはマタイによる福音書28章で主の11弟子たちに大宣教命令を下されました。そして主イエスは教会に福音宣教によってすべてのものを主の弟子とせよとお命じになりました。
だから、教会は、この世に向けて常に「主イエスは王なり」と告知し、常にわたしたちの罪を執り成されています永遠の祭司を、この世の人々に紹介し、主イエスの愛と憐れみを、十字架の愛を告げ知らせるのです。
ヘブライ人への手紙は、14節で天使たちについてこう述べています。「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったのですか。」
天使たちは、神に仕える霊です。主イエスの救いを受け継ぎ、この世に福音宣教しています教会のキリスト者たちに仕えるために、神が遣わされた者たちなのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、今朝もヘブライ人への手紙第1章4-14節を学ぶ機会を得られたことを感謝します。
ヘブライ人への手紙は、70人訳旧約聖書の御言葉を引用し、御子主イエス・キリストが天使にまさるお方であることを繰り返し論証しています。
その論証を通して、父なる神の右の座に着かれている御子主イエス・キリストを、深く理解し、わたしたちの王であり、救い主であるお方を信じることが許され、感謝します。
主イエスは、万物の創造者であり、永遠に存在され、今王として世界を支配されています。
わたしたちの小さな教会も主日礼拝を通して、この世の人々に、主イエスは王であることを告げ知らせ、福音宣教に努めています。
そのことを通して、御子主は、すべての敵を御自身の足下に置かれています。この世の権力者のように敵を滅ぼすという暴力ではなく、大祭司として人の罪を執り成すことで、御自身の支配を続けられています。
そして、わたしたちが福音宣教という働きをするたえに、霊である御使いを遣わされています。
どうか御子主イエスの十字架と復活の御業を大胆にこの世の人々に伝えさせてください。
この祈りと願いを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。