フィリピの信徒への手紙説教00 主の2025年1月5日
キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。わたしがキリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように、そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
フィリピの信徒への手紙第一章1-11節(1)
説教題:「パウロの感謝」
あけましておめでとうございます。
今年は、使徒パウロの手紙から『フィリピの信徒への手紙』を学ぼうと思います。パウロの手紙は新約聖書の中に13通あります。『フィリピの信徒への手紙』は、使徒パウロが『テサロニケへの信徒の手紙』一と二に続けて書いた三番目の手紙です。紀元54年頃、使徒パウロが第三回伝道旅行の時、パウロは三年間小アジアのエフェソの町に滞在しました。『フィリピの信徒への手紙』はその頃書かれたと考えられています。
さて使徒パウロはフィリピの信徒への手紙第一章1-2節で次のように手紙の冒頭で挨拶を書いています。「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。
手紙はいつの時代も発信人がいて、受取人がいます。そして手紙は挨拶から始まります。『フィリピの信徒への手紙』も同じです。この手紙の発信人は「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテ」です。受取人は「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たち」です。
発信人が「パウロとテモテ」であるのは、二つの理由があります。第一の理由はこの手紙が個人の私的な手紙ではないということです。発信人の二人は「キリスト・イエスの僕である」とあります。パウロとテモテは主イエス・キリストによって異邦人にキリストの福音宣教のために遣わされた使徒と労同者です。キリストのために働く者ですから彼らは「キリスト・イエスの僕」と称しているのです。だからこの手紙は公の手紙です。
第二の理由はパウロとテモテは共にフィリピ教会の誕生に関わり、フィリピ教会でよく知られていたからです。
発信人の一人、パウロについて簡潔に紹介しましょう。新約聖書の『使徒言行録』九章でパウロが使徒となった経緯を物語っています。パウロはファリサイ派の人です。ファリサイ派の律法学者ガマリエルの弟子でした。彼はステファノが迫害されていた時、ステファノの死を見届けました。彼はエルサレムの都でキリスト教会とキリスト者たちを迫害しました。そして彼は外国のダマスコの町のキリスト教会とキリスト者たちを迫害しようとしました。ダマスコに行く途中で彼は復活の主イエスに出会いました。彼は回心し、キリスト者となりました。彼は復活の主イエスより異邦人への使徒として召されました。彼は小アジアからギリシアへとキリストの福音を異邦人に宣教し、次々にキリスト教会を建て上げました。労同者のテモテは、パウロが小アジアのアンティオキア教会で見いだした人です。テモテはパウロの弟子の一人です。
続いてこの手紙の受取人です。パウロは「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たち」と記しています。
「フィリピ」はギリシアの都市の名前です。『使徒言行録』の十六章に記されていますように、聖霊がパウロにマケドニア人の幻を見せられ、パウロを小アジアからヨーロッパへと導かれました。最初にパウロが福音宣教したのがフィリピの町でした。当時フィリピの町はローマ人たちの植民都市で、定住するユダヤ人は少なく、ユダヤ人の会堂がありませんでした。敬虔なユダヤ人たちは安息日に川のほとりで祈りをしていました。パウロはそこに行き、祈りに集まりましたユダヤ人たちに福音宣教しました。聖霊が紫布の商人リディアの心を開かれました。彼女はパウロを家に招き、彼女と家族の者たちが主イエスに救われ、フィリピの最初のキリスト者となりました。さらに占いをする女奴隷が救われ、彼女の所有者たちがパウロたちを訴えたので、パウロたちは牢に入れられました。その夜に大地震が起こりました。牢番は囚人たちが逃げたと思い、自害しようとしました。それをパウロが止めました。牢番と彼の家族の者たちも主イエスに救われ、キリスト者となりました。パウロたちは牢から解かれ、フィリピの町を去りました。
それからこの手紙が書き送られるまで、どのぐらい経っていたでしょうか。フィリピ教会は「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たち」と、パウロが記していますように、成長し信仰共同体を形成していました。フィリピ教会はフィリピの町の人々にキリストの福音を宣教したでしょう。それを聞いてある人々は聖霊に導かれ主イエスを信じ、洗礼を受けてキリスト者になったでしょう。それが「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」です。わたしたちキリスト者は洗礼によってキリストと結び付けられ、聖なる者とされました。パウロはフィリピの町においてキリストの交わりにあずかるすべての聖徒たちにこの手紙を差し出しているのです。わたしはフィリピ教会のキリスト者に宛てたパウロの手紙ですが、同様に主イエス・キリストを信じる者として、パウロがわたしたちに向けて書いた手紙でもあると思うのです。
パウロはフィリピ教会のキリスト者すべてと、「ならびに監督たちと奉仕者たち」にこの手紙を書き送っています。『使徒言行録』はパウロたちが福音宣教し、教会を立ち上げ、弟子たちを養成し、教会に長老を任命したことを記しています。宗教改革者カルヴァンは、監督についてこう述べています。「パウロは司牧者に敬意を表して別の名で呼んでいる。さらに、このことから、監督という名は、パウロは一つの教会にいく人かの監督を定めたが故に、すべてのみ言葉の役者に共通であると考えることができる。従って、監督と司牧者とはまったく同じものである」。群れの監督者、彼は礼拝で説教し、信徒たちを牧会したでしょう。「奉仕者たち」は教会の世話役であります。パウロがこの手紙の四章でフィリピ教会からの贈物に対する感謝を述べていますね。エフェソで捕らわれの身となっているパウロに、慰問の金品を集めて届けたのが、この奉仕者たちであったでしょう。カルヴァンは、この奉仕者たちを執事と呼び、「貧困者の世話役をする管理人か会計係か、生活態度の訓練や指導を任された長老かである」と述べています。
今日の日本キリスト改革派教会のように牧師と長老と執事という役職は、フィリピ教会にはありませんでした。しかし、礼拝で説教をし、信徒を牧会し、教会の群れを管理する者、そして貧しい者たちの世話をし、牢獄に囚われていたパウロを慰めるために、金品を集めて送る世話をする者たちがいました。
2節はこの手紙の挨拶の言葉です。わたしたちはキリスト者として手紙を書きますときに、挨拶は「主の御名を賛美します」と書き始めます。パウロは「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」と挨拶を述べています。これはパウロが当時の人々の手紙の文面に倣って書いたのでしょう。その時に「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの」という言葉を付け加えました。そして父なる神と主イエス・キリストの恵みと平和がフィリピ教会のキリスト者たちにあるようにと、パウロは祝福の祈りをしています。
3-11節のパウロの御言葉はフィリピ教会を思うパウロの感謝と祈りです。これらは三つに分けることができます。3-6節がパウロの感謝です。7-8節がパウロの感謝から祈りへの橋渡しとなる御言葉です。9-11節がパウロの祈りです。
今日は3-6節のパウロの感謝を学びたいと思います。パウロは3節で「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し」と述べています。パウロは当時の手紙の形式に従って挨拶に続いて感謝を述べています。感謝する相手は「わたしの神」であります。フィリピ教会の「すべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たち」を思い起こすごとにパウロは「わたしの神」に感謝するのです。
パウロの神への感謝は、5節で次のようにパウロは述べています。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」。そしてこのことのゆえにパウロは4節で「あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」と述べているのです。
『使徒言行録』の十六章に使徒パウロが労同者のテモテを伴い、フィリピの町で福音宣教しましたことを記しています。あの最初の日から今パウロがこの手紙を書いています今日までフィリピ教会のキリスト者たちが「福音にあずかっている」ことを、パウロは「わたしの神」に感謝しているのです。「福音にあずかっている」とは、キリストの福音を聞いて受け入れていることです。そして教会の信仰の交わりに入れられることです。それは聖霊のお働きですから、パウロは「わたしの神」に感謝すると述べているのです。
上諏訪湖畔教会が1948年に松尾智恵子先生と25名の者たちと共に日本基督教団を離脱し、日本キリスト改革派教会に加入してから今年10月で77年になります。上諏訪湖畔教会も生まれた時から今日まで「福音にあずかっている」のです。玄関のところに岡田稔先生の改革派教会の十箇条という額がありますね。わたしたちの先輩たちは岡田稔先生から聞いた福音によって、日本キリスト改革派教会に加わり、教会に遣わされた牧師を通して毎週主日礼拝で聖書の御言葉とその解き明かしである説教を聞き続け、聖餐の恵みに共にあずかり、信仰の交わりを続けてきたのです。わたしは、パウロがこれを「福音にあずかっている」と言っているのだと思うのです。わたしたちが初めて礼拝で説教を通してキリストの福音を聞いた時から、その福音を信じて、今日までキリスト者として生きてきたことを、パウロは「福音にあずかっている」と言っているのです。
だからパウロはフィリピ教会がこの世に存在し、今も存在し続けている事実を、聖霊のお働きと、「わたしの神」に感謝しているのです。それゆえにパウロは、フィリピ教会を去ってから、この手紙を書いている今日まで一日も欠かさずフィリピ教会のために祈ってきたのです。その時パウロの祈りにいつも喜びがありました。彼はフィリピ教会のキリスト者たちが聖霊のお働きによって日々福音に生かされている姿を見ることができたからです。
パウロはフィリピ教会のキリスト者たちのことを神に感謝し、喜びをもって彼らのために祈るだけではありません。パウロは聖霊がフィリピ教会のキリスト者たちの信仰をキリストの再臨に向けて完成させてくださると強く確信しています。
6節です。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。「あなたがたの中で善い業を始められた方」とは聖霊です。聖霊がわたしたちキリスト者の内に信仰という善き業を始めてくださるのです。あのリディアがパウロの福音を聞きました時、聖霊が彼女の心を開かれ、彼女の内にキリストを信じるという善き業を始めてくださったのです。そして「キリスト・イエスの日まで」に、すなわちキリストが再臨される日までにリディアの信仰の業を完成させてくださるのです。リディアだけでなく、フィリピ教会のすべての聖なる者たちの信仰が完成されると、パウロは確信しているのです。
だからパウロは、フィリピ教会のキリスト者たちのために祈る時、彼らが福音にあずかっていることと共に、聖霊が彼らの信仰をキリストの再臨の日までに完成させてくださることを確信しているので、パウロはいつも喜んで彼らのために祈ることができたのです。
今わたしたちがこの礼拝にいるということ、これが聖霊のお働きでわたしたちが福音にあずかっていることであり、わたしたちが礼拝で聞いた説教を通してわたしたちが主イエスを救い主と信じることが聖霊のお働きであれば、わたしたちの信仰は聖霊がキリストの再臨の日までに完成させてくださるのです。信仰が人間の業であれば、その人が死ねば,無くなるでしょう。しかし、わたしたちが日曜日に教会の礼拝に出て、聖書の御言葉と説教を聞き、福音にあずかることもわたしたちがその福音を受け入れて、キリストを信じる信仰が聖霊のお働きであるならば、神の永遠の御業であるのですから無くなることはありません。わたしたちの信仰は神の御国において完成されるのです。
わたしたちの信仰も教会の業も、この世においては未完成です。しかし、キリストの再臨の日までに完成されることを、パウロのようにわたしたちも確信し、「わたしたちの神」に感謝しようではありませんか。
お祈りします。
イエス・キリストの父なる神よ、今年最初の主日礼拝より『フィリピの信徒への手紙』の講解説教を始めることができて感謝します。このパウロの手紙を学ぶことを通して、今年一年わたしたちの教会生活と信仰生活を喜びで満たしてください。
わたしたちも自分たちの教会の誕生から今日まで福音にあずかっていることを、わたしたちの神に感謝させてください。また、聖霊がわたしたちの内に始められた信仰の業を、キリストの再臨の日までに完成させてくださることを、わたしたちにも確信させてください。
この祈りと願いをイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。