ハイデルベルク信仰問答 26           2013717

 

聖書箇所 使徒言行録第1911(新約P213) 

 

 

 

 問49 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。

 

 答   第一に、この方が天において御父の面前で

 

       わたしたちの弁護者となっておられる、ということ。

 

     第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。

 

       それは、頭であるキリストがこの方の一部であるわたしたちを

 

       御自身のもとにまで引き上げてくださる一つの確かな保証である、

 

       ということです。

 

     第三に、この方がその保証のしるしとして

 

       御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。

 

       その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、

 

       キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。

 

 

 

今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問49と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答は、問4649と答においてキリストの昇天についての教理を教えています。問4648と答においてキリストの昇天について次のことを学びました。第1にそれが事実であること、第2にわたしたちのためであること、第3に昇天後のキリストがどのようにわたしたちと共にいてくださるか、第4に昇天後のキリストの人性は天にあり、神性はわたしたちと共にあっても、キリストの2性がキリストの人格から分離していないことを学びました。

 

さて問49は、キリストの昇天が「わたしたちにどのような益をもたらしますか」と問うています。今キリストが昇天されて、天にいてくださることが、「わたしたちにどのような益をもたらしますか」という問いかけです。ハイデルベルク信仰問答は、ここでも「益」という言葉を用いています。「わたしたちと関わってくださるキリストがいたまう」ことを、ハイデルベルクは「益」と言っています。何度も繰り返しますが、この「益」という言葉の内容を、今日に当てはめると、「実存の関与」、「わたしたちにおけるキリストの同時性」と言えます(ヤコプス『改革主義信条の神学』新教出版社)

 

キリストは、常にキリスト者と共にいてくださいます。使徒パウロは、「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ローマ149)と言っています。キリストは、キリスト者の実存に関与してくださいます。その実存とは、神の裁きの御前に立つということです。ハイデルベルク信仰問答は、すでにこの問題を問12と答で論じてきました。

 

12「わたしたちが神のただしいさばきによって この世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるには どうすればよいのですか。」答「神は、御自身の義が満足されることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して 自分自身によってかあるいは他のものによって、完全な償いをしなければなりません。」

 

昇天のキリストは、このわたしたちの実存に、神のただしい裁きの前に立たされるというわたしたちの実存に、「第一に、この方が天において御父の面前でわたしたちの弁護者となっておられる」という形で関わってくださるのです。なぜならば、キリストは、わたしたちに代わって、父なる神の義を完全に満たされました。神に完全に服従し、神の律法を満たされ、アダムによって犯された人の罪に対する刑罰を、十字架のキリストが完全に償われました。ですから、今キリストは、天においてわたしたちの弁護者として、父なる神にわたしたちの罪をすべてとりなしてくださっています。わたしたちは、この弁護者キリストのおかげで神の永遠の刑罰を免れる恵みにあずかっているのです。

 

さらに昇天のキリストは、人間性をもって昇天され、キリストの人性は今も天にあります。ハイデルベルク信仰問答は、その恵みに注目して、次のように告白するのです。

 

「第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。それは、頭であるキリストがこの方の一部であるわたしたちを御自身のもとにまで引き上げてくださる一つの確かな保証である、ということです。」

 

 キリストの肉体の復活が、わたしたちの肉体の復活の確かな保証であるように、キリストが肉体をもって昇天されたことは、わたしたちも肉体を持ったまま天に引き上げられることの確かな保証であります。教会のかしらであるキリストが、天に今おられることは、その肢体であるわたしたちが天に引き上げられることの確かな希望です。使徒パウロは、その喜びを次のように言っています。「キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。」(Ⅰテサロニケ41617)

 

 わたしたちが天国に行くと確信するのは、そこにキリストがいてくださるからです。

 

 さらに昇天のキリストは、聖霊をわたしたちにお遣わしくださいました。ですから、聖霊による保証に、注目して、ハイデルベルク信仰問答は次のように告白します。

 

 「第三に、この方がその保証のしるしとして 御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。」

 

 昇天のキリストは、聖霊を通してこの世のわたしたちに関わってくださっています。地上のわたしたちが、天上のキリストに心を向け、求めるのは、聖霊を通して、です。聖霊が、聖書と説教の神の御言葉と共にお働きくださり、わたしたちの目をこの地上のことから神の右に座されているキリストに常に向けさせてくださいます。

 

 わたしたちは、昇天のキリストより「キリストの霊」である聖霊をいただいていますので、使徒パウロのように「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(フィリピ320)と確信できるのです。

 

 ですから、ある牧師が次のように述べています。「昇天されたキリストは、天と地とを結びつける引力なのです」と(「ふくいんのなみ」20103月号)

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 27           2013724

 

聖書箇所 使徒言行録第22936(新約P216) 

 

 

 

 問50 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。

 

 答   なぜなら、キリストが天に昇られたのは、

 

       そこにおいて御自身がキリスト教会の頭であることを

 

       お示しになるためであり、

 

       この方によって御父は万物を統治なさるからです。

 

 問51 わたしたちの頭であるキリストのこの栄光は

 

     わたしたちにどのような益をもたらしますか。

 

 答   第一に、この方が御自身の聖霊を通して、

 

       御自身の部分であるわたしたちのうちに

 

       天からの諸々の賜物を注ぎ込んでくださる、ということ。

 

     そうして次に、わたしたちをその御力によって

 

       すべての敵から守り支えてくださる、ということです。

 

 

 

今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問5051と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条に従って、前々回と前回に問4649と答においてキリストの昇天についての教理を解説しました。今夜は、使徒信条の「全能の父なる神の右に座したまえり」についての解説です。

 

弟子たちの目の前で昇天されたキリスト(ルカ2451、使徒言行録19)は、使徒信条に「全能の父なる神の右に座したまえり」とあります。ハイデルベルク信仰問答は、「なぜ『神の右に座したまえり』と付け加えるのですか」と質問しています。

 

使徒言行録の133節に使徒ペトロが「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」と証言しています。

 

確かに使徒ペトロは、キリストが昇天されたことを目撃しました(ルカ2451、使徒言行録19)。しかし、ペトロは、キリストが父なる神の右に座されるところを目撃していはいません。使徒たちが見ていた昇天のキリストは、その途中で見えなくなられたからです。また、わたしたちには「右と左」は意味がありますが、霊である神に意味はありません。ですから、使徒ペトロが「イエスは神の右に上げられ」と証言したのは、文字どおりではありません。

 

使徒信条が「神の右に座したまえり」と付け加えたのは、昇天の主イエス・キリストが、再臨の時まで父なる神の代わりに全権を委任されて、采配をふるう代理者となられたという意味です。詩編1101節に「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。』」とあります。昇天のキリストは、神の右に着座され、天地万物の全権を持って、万物を支配されています。

 

エフェソの信徒への手紙122節に、昇天のキリストについて次のような証言があります。「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。」

 

その証言を受けて、ハイデルベルク信仰問答は、昇天のキリストの教理に「神の右に座したまえり」を付け加える理由を二つ挙げています。

 

1に「キリストが昇天されたのは、そこにおいて御自身がキリスト教会の頭であることをお示しになる」ためでした。天地万物を支配されている昇天のキリストが、キリスト教会の頭です。

 

2に「この方によって御父は万物を統治なさるからです。」カルヴァンは、昇天のキリストが「神の右に座したまえり」、ここにおいて「主の支配は真実に開始された」と述べています。

 

キリストが天に昇られたのは、そこにおいて御自分がキリスト教会の頭であることを知らせるためであり、この教会の頭キリストによって父なる神は、天地万物のすべてのものを統治されます(フィリピ2910)

 

ハイデルベルク信仰問答は、問51に「わたしたちの頭であるキリストのこの栄光は、わたしたちにどのような益をもたらしますか」と問うています。

 

教会の頭であるキリストが昇天され、神の右に座されて、父なる神に代わって、天地万物を統治する全権を与えられ、今万物を統治されています。それが、今のキリストの栄光です。

 

その栄光のキリストが、今キリストの肢体である教会、すなわち、わたしたちに実際にどのように関係してくださっているのでしょうか。それが、ハイデルベルク信仰問答が問うています「わたしたちにとっての益」です。

 

先ほど使徒パウロは、「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました」(使徒言行録233)と証言しました。ハイデルベルク信仰問答は、第1に昇天のキリストが「その聖なる御霊によって、御自身の部分であるわたしたちの中に天からの賜物を注ぎ込んでくださる」と証言します。キリストが昇天されたことによって、頭であるキリストとそのキリストの肢体(部分)である教会(わたしたち)は、一つの体として結び合わされております。そして、頭であるキリストは、わたしたちの体に聖霊を注ぎ込んでくださり、地上の教会とキリスト者たちが魂と体を癒され、信仰に豊かに生きるように命をお与えくださいました。

 

わたしたちの愛する主イエスは、今教会の頭として万物を支配されています。この世界の中で教会とキリスト者たちに何が起ころうと、「万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ828)。この信仰が、教会とキリスト者たちにこの世を越えて生きる力を与えています。

 

さらに「わたしたちをその御力によって すべての敵から守り支えてくださる」という大きな確信と平安を得ています。万物を支配するお方が、教会とキリスト者たちの羊飼いです。「わたしの羊は私の声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(ヨハネ102728)。昇天のキリストは、聖霊を通して地上の教会とキリスト者たちと常に共にいてくださり、わたしたちから信仰と命を奪おうとする敵から守ってくださいます。

 

教会とキリスト者たちは、ローマ帝国の迫害以来この世の為政者たちの背後に天上のキリストが万物を支配されていることと、そして、教会とキリスト者たちを御自身の羊としてどんな迫害と苦難の中でお守りくださっていることを信じて疑いませんでした。ハイデルベク信仰問答も、初代教会からの信仰に固く立って、その信仰を信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 28           2013731

 

聖書箇所 ヨハネによる福音書第161624(新約P200201) 

 

 

 

 問52 「生ける者と死ねる者とを審」かれるための

 

キリストの再臨は、

 

     あなたをどのように慰めるのですか。

 

 答   わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも頭を上げて、

 

       かつてわたしのために神の裁きに自らを差し出し

 

       すべての呪いをわたしから取り去ってくださった。

 

       まさにその裁き主が天から来られることを待ち望むように、です。

 

     この方は、御自分とわたしの敵をことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、

 

       わたしを、すべての選ばれた者たちと共に

 

       その御許へ、すなわち、天の喜びと栄光の中へと

 

       迎え入れてくださるのです。

 

 

 

今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問52と答を学びましょう。ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条に従って、キリストの再臨と審判についての教理を解説しています。

 

ハイデルベルク信仰問答は、問においてわたしたちにキリストの再臨と審判がわたしたちをどのように慰めるかを問うています。

 

古来より日本にも末法思想があります。「この世の終わりが来て、すべてのものが滅びる」という恐ろしい教えです。わたしたちは、誰も将来を見通すことはできません。ですから、キリスト教とその他の宗教も、そして哲学、思想、文学においていつの時代もこの世の終わりが大きなテーマであり、関心です。誰もが、先のことに不安と恐れを抱いています。

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちにキリストの再臨と審判がどのようにわたしたちを慰めてくれるかを具体的に述べています。その慰めの根拠は、第1にキリストは常にわたしたちと共にいてくださいます。第2にキリストの十字架と復活の御業です。第3にキリストの再臨とこの世の終わりは、わたしたちの救いの完成の日です。

 

キリストの再臨の「再臨」は、リターン(「戻る」)という意味です。使徒言行録19節に昇天のキリストを見上げていた11使徒(弟子)たちに御使いが次のように述べています。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録111)。キリストの再臨と審判は、外国に出かけた主人が再び戻って来て、留守の間の僕たちの行いを裁くイメージです(マタイ2425)

 

しかし、主イエスは、上記のたとえの主人のように全く留守をされません。わたしたちから離れてしまわれません。ハイデルベルク信仰問答の問47と答にキリストは世の終わりまでわたしたちと共にいると約束してくださいました。キリストの人性は天に上げられましたが、キリストの神性はわたしたちと共にいてくださいます。聖霊と御言葉を通してキリストは、「片時もわたしたちから離れておられることはありません。」

 

ですから、ある牧師は、次のように述べています。「キリストの再臨は、再び戻るというより、見えなくなられたキリストが再びわたしたちの前に現れてくださることだ」(ヨハネ1617)と。使徒パウロは、こう証言します。「また、祝福に満ちた希望、すなわち、偉大な神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」(テトス213)。わたしたちは、礼拝を通し、祈祷会等の学びを通して、聖書から「わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むのように教えられています。」(他にルカ2128 「頭を上げなさい。解放の時が近い」)

 

それゆえに今この世において「わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも顔を上げて」、あの迫害を受けたステファノのように、信仰によって神の右に座されているキリストを見上げるのです(使徒言行録55456)

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちを十字架のキリストへと導いています。すなわち、今神の右に座されて、将来全人類を裁かれるために再臨されるキリストは、「かつてわたしのために神のさばきに自らを差し出しすべての呪いをわたしから取り去ってくださいました。」と。

 

キリストは、かつて人性を取り、聖霊を通して処女マリアから生まれ、罪無き御体を、罪に汚れたわたしたちの贖いとして、十字架の上で死なれました。キリストの十字架の死によって、わたしたちは神により罪を赦され、永遠の滅びという神の呪いから解放されました。そして、キリストの復活によって永遠の命を保証されました。ですから、わたしたちは神の子とされ、完全に体が救われる時を待ち望むのです(ローマ82225)

 

それゆえにハイデルベルク信仰問答は、最後に次のように証言します。「まさにそのさばき主が天から来られることを待ち望むように、です。この方は、御自分とわたしの敵をことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、わたしを、すべての選ばれた者たちと共にその御許へ、すなわち、天の喜びと栄光の中へと迎え入れてくださるのです。」

 

聖書が証言しますように、キリストの再臨は、キリストが全人類を裁かれる時です。キリストの裁きは、御自分と教会の敵に対して裁かれます。サタンとキリストと教会の敵対者たちは永遠の刑罰の中に投げ込まれます。

 

同時にキリストは、父なる神が選ばれた者たちを御自身の御許に集められ、わたしたち神の子たちに永遠の命と新しい体をお与えくださり、御国へと、すなわち、「天の喜びと神の栄光の中へ」迎え入れてくださいます。

 

わたしたちの慰めと喜びは、わたしたちには帰るべきふるさとがあることです(ヨハネ142、フィリピ320)。再臨のキリストは、御自身が用意してくださった御国にわたしたちを迎え入れるために、再び戻ってきてくださいます。今キリストは目には見えませんが、その時に栄光の御姿を現してくださり、わたしたちを御自身の栄光の中へと迎え入れてくださいます。

 

わたしたちの国籍は天にあることを自覚し、喜びと感謝をもって、互いに励ましあいつつ御国に迎えられる準備を、毎週の礼拝を通して整えていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 29           201387

 

聖書箇所  

 

 

 

 問53 「聖霊」についてあなたは何を信じていますか。

 

 答   第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。

 

     第二に、この方はわたしたちに与えられたお方であり、

 

       まことの信仰によって

 

       キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、

 

       わたしを慰め、

 

       永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。

 

 

 

今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問53と答を学びましょう。

 

ハイデルベルク信仰問答は、問24と答において使徒信条を3つに分けました。すなわち、「父なる神と、わたしたちの創造について」、「子なる神と、わたしたちの救いについて」、そして「聖霊なる神と、わたしたちの聖化について」に、です。

 

そしてこの区分に従って、ハイデルベルク信仰問答は、問2628において「父なる神について」、問2952において「子なる神について」解説してきました。そして、問5364において「聖霊なる神について」解説をします。こうしてハイデルベルク信仰問答は、わたしたちに使徒信条を通して「聖書が教えている信仰の要点」を教えています。

 

ハイデルベルク信仰問答は、わたしたちに率直に「『聖霊』についてあなたは何を信じますか。」と問うています。それは、次のように問いを補うことができます。「聖書が教えている「聖霊」についてあなたは何を信じていますか。」と。

 

聖書は、聖書全体において聖霊について様々なことを教えています。ハイデルベルク信仰問答が問5364と答においてたくさんの聖書聖句が引用されています。ハイデルベルク信仰問答は、聖書が聖霊についてたくさん教えていますが、聖書が教える「聖霊について」の要点を2つにまとめて、次のように教えています。

 

「第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。」聖書は、聖霊が御父と御子と同様に永遠の神であられると教えています。聖書は、天地万物の創造を、父なる神と子なる神キリスト、そして聖霊の御業であると証しします(創世記112、ヨハネ13)。また、復活の主イエスは、11弟子たちに宣教命令をされ、すべての諸国民を教え、キリストの弟子とするために「父と子と聖霊の名によって」洗礼を授けるように命じられました(マタイ2819)。アナニアとサフィラ夫妻は、土地を売った代金をごまかし、献金しました。使徒ペトロがアナニアに「サタンに心奪われ、聖霊を欺いて土地代金をごまかしたか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と告げると、アナニアは息絶えました。使徒ペトロは、ここで聖霊が神であると告白しています(使徒53)。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙Ⅱの1313節に「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」と、神の祝福を宣言しています。聖霊が、父なる神と子なる神キリストと同様に真の神であることを、聖書は証言し、教えています。

 

次に聖霊は、御父と御子と同様に神ですが、聖書は聖霊が御父と御子とは異なる特徴を持たれていることを証し、教えています。そのことを、ハイデルベルク信仰問答は、次のように告白しています。「第二に、この方はわたしたちに与えられたお方であり、      まことの信仰によって キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、       わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。」

 

 ハイデルベルク信仰問答は、聖霊なる神が父なる神と子なる神キリストと異なるのは、「この方はわたしたちに与えられたお方」であると教えています。使徒パウロは、聖霊について「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり」と証言しています(Ⅰコリント619)。またパウロは、「神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。」と証ししています(Ⅱコリント123)。またパウロは、「神が『アッパ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった」と証ししています(ガラテヤ46)。「“霊”」と「御子の霊」は聖霊のことです。聖霊なる神は、父なる神と御子なるキリストがわたしたちの心にお与えくださり、お送りくださったお方です。

 

 さらに聖霊は、わたしたちのためにお働きくださり、次の二つの恵みをお与えくださいます。「まことの信仰によって キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、       わたしを慰め」。

 

 使徒パウロは、聖霊がわたしたちに真の信仰によってキリストとそのすべての恵みに与からせてくださることを、次のように証ししています。「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。」(ガラテヤ314)。わたしたちは、洗礼の時に神より聖霊をいただきました。それは、天の御国をいただいたということです。

 

 聖霊は、わたしたちを慰める神です。聖霊は、わたしたちにキリストを証しし、慰めてくださいます。主イエスは、十字架にかかられる前の夜、弟子たちに聖霊を与え、慰めることを、次のようにお告げになりました。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」(ヨハネ1526)。「弁護者」と訳された言葉は「慰め主」という意味です。主イエスは、この地上で何度も信仰につまずく弟子たちやわたしたちのために、弁護し慰める聖霊を与えるとお約束してくださいました。

 

 さらにハイデルベルク信仰問答は、わたしたちの心に与えられた聖霊が「わたしと共に永遠にいてくださる」と教えています。

 

 主イエスは、御自身が天へと上げられることを知っておられました。そこで主イエスは、弟子たちとわたしたちのために永遠に聖霊をお与えくださいました。主イエスは、弟子たちに遺言されました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。・・・この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」(ヨハネ141617)。使徒ペトロも弁護者であり、慰め主である聖霊を与えられ、聖霊が常に共にいてくださるキリスト者の幸いを次のように証言します。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち、神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(Ⅰペトロ414)

 

 聖霊が永遠の神であられるので、聖霊はわたしたちと永遠に共にいてくださいます。そして、この世の困難の中でキリストのゆえにわたしたちを弁護し、守り、慰め、御国へとお導きくださいます。

 

 

 

 

 

 ハイデルベルク信仰問答 30           2013814

 

聖書箇所  

 

 

 

 問54 「聖なる公同の教会」について、あなたは何を信じていますか。

 

 答   神の御子が、

 

       全人類の中から、御自身のために永遠の命へと選ばれた一つの群れを

 

       御自分の御霊と御言葉により、

 

       まことの信仰の一致において、

 

       世の初めから終わりまで

 

       集め、守り、保たれる、ということ。

 

     そしてまた、わたしがその群れの生きた部分であり、

 

       永遠にそうあり続ける、ということです。

 

 

 

今夜は、ハイデルベルク信仰問答の問54と答を学びましょう。

 

ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条の「聖なる公同の教会」について解説しています。ただ、ハイデルベルク信仰問答は、聖霊のお働きを通してなされる「わたしたちの聖化について」(24と答)解説しています。

 

教会は、頭である主イエス・キリストとその肢(えだ)であるわたしたち信者から成っています。天上の教会は、キリストと選民によって成り、地上の教会はキリストと信者とその子らから成っています。

 

教会は、

 

「神の御子(キリスト)が、全人類の中から、御自身のために永遠の命へと選ばれた一つの群れ」です。主なる神は族長アブラハムを全人類の中から選ばれ、次のように祝福を約束されました。「彼と彼の子孫は天の星のように増え、地上の諸国民も彼の子孫によって祝福を得る」と(創世記2634)。神がアブラハムになさった約束は、彼の子孫より生まれた主イエス・キリストによって成就しました。キリストは、御自身の十字架の贖いにより諸国民の中より永遠の命に選ばれた民を、教会という一つの群れに集められました。

 

主イエス御自身が、12弟子たちのキリスト告白の上に、すなわち、「わたしはこの岩の上に教会を建てる」(マタイ1618)と宣言されました。キリストが全人類の中から永遠の命に選ばれた民は、羊飼いであるキリストの御声を聞き分け、キリストに従います。そしてキリストは、彼らに永遠の命を与えて、その者たちを守られます(ヨハネ102830)

 

 使徒パウロも教会について次のように証言します。天地の創造の前に父なる神は、神の御子キリストによってある者たちに永遠の命を与え、神の民に選び、キリストの十字架の贖いにより彼らの罪を赦され、神の御国の相続者とされました。そして、その保証として彼らに聖霊を与えられました(エフェソ1314)

 

 教会は、神の御子キリストにより全人類の中から永遠の命に選び出され、キリストの十字架の贖いにより罪を赦され、神の御国の相続者とされた一つの群れであります。

 

 次にキリストは、天に昇天され、神の右に座されています。それゆえに天にいますキリストは、聖霊を遣わされ、聖霊と御言葉によって今教会を治めておられます。ハイデルベルク信仰問答は、キリストは「御自分の御霊と御言葉により」教会を治めておられると証言しています。キリストは、「聖霊と御言葉」を通して語りかけられます。礼拝、祈祷会、集会、家庭(個人)礼拝において。キリストに選ばれた者は、その声を聞き分け、キリストに従うのです。そして、一つの群れである教会につながります。

 

 聖霊は、その教会の世話をさせるために牧師、長老、執事を立てられ、制度を整えられます(使徒言行録2028)。聖霊は、福音を宣べ伝える者を遣わされ、わたしたちの信仰は彼の言葉を聞くことで生まれます(ローマ101417)

 

 ハイデルベルク信仰問答は、次に教会は、「信仰の一致において」成っていると証しします。新約聖書は初代教会について次のように証言します。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録242)。彼らは、一つになり、すべての物を共有し、財産を必要に応じて分け合いました。心一つに礼拝し、食事のときに聖餐を行いました。そして主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされました(使徒言行録24347)

 

 一つにされるとは、具体的には洗礼を受け、キリストを告白し、教会のメンバーになることです。それは、死んでよみがえられたキリストの命に与る者となり、一つにされることです。それが信仰の一致の内実です。

 

 地上の教会は、神の御国への途上にあります。ですから、ハイデルベルク信仰問答は、「世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、ということ」と証しします。旧約の時代には、教会は契約であらわされました。預言者イザヤは、「これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると 主は言われる」と告げています。それは教会であります。だから、「あなたの上にあるわたしの霊 あなたの口においたわたしの言葉は あなたの口からも、あなたの子孫の口からも あなたの子孫の子孫の口からも 今もとこしえに 離れることはない、と主は言われる。」とイザヤは告げています(イザヤ5921)

 

 教会は、神の選びの民が満たされるまで、絶えず集め、集めたものを守り、保ち続けます。こうして永遠にキリストの命に留まる者とされます。御国の相続人とされるのです。

 

 それゆえにハイデルベルク信仰問答は、最後に教会の本質を次のように証言します。「そしてまた、わたしがその群れの生きた一部分であり、永遠にそうであり続ける、ということです。」

 

 罪深い者が、滅ぶべき者が、キリストの選びの恵みにより、キリストの体なる教会の生きた部分とされるのです。その喜びを、使徒ヨハネは、「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。」と証言しています(Ⅰヨハネ314)。また罪の赦しを確信し、主の御前に立つことができます。この喜びが、「わたしがその群れの生きた一部分であり」という証しなのです。

 

 さらに喜びは、ハイデルベルク信仰問答が「永遠にそうあり続ける、ということです」と証ししていることです。

 

 地上の教会は、わたしたち罪人の集まりです。宗教改革者ルターの言葉を借りれば、罪を赦された罪人の集まりです。ですから、父、子、御霊なる神を信じるように、教会を信じることはできません。

 

キリストが聖霊と御言葉を通して、この教会の中で働いてくださり、わたしたちの聖化を導いてくださることを信じるのです。キリストは、聖霊と御言葉を通して教会に選びの民を集め、守り、御国の相続人として最後までわたしたちを神の子としての永遠の命を保証してくださるのです。