ガラテヤの信徒への手紙説教01 主の2018年11月11日
人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。
ガラテヤの信徒への手紙第1章1-5節
説教題:「人からではなく」
今朝よりガラテヤの信徒への手紙を学びます。
ガラテヤの信徒への手紙は、その名の通り手紙、書簡です。
手紙はプライベートで、書簡はオフィシャルであると、考える方があるかもしれません。
その理解では、ガラテヤの信徒への手紙はパウロがガラテヤ地方の諸教会宛に書き送ったオフィシャルな書簡です。
また、手紙、書簡には定まった形式があります。誰が何の目的で、誰に宛てて書いたのか。そこに挨拶を書き込みます。
ガラテヤの信徒への手紙は間違いなく使徒パウロがガラテヤ地方の諸教会のキリスト者たちに宛てて、書き送った手紙です。
使徒パウロは、離散のユダヤ人の家庭に生まれました。ギリシア語を話すユダヤ人でした。彼はファリサイ人で、熱心にモーセ律法を守り、ユダヤ教の習慣を守りました。
それゆえに彼はキリスト教会の迫害者となりました。
彼が教会の迫害者から異邦人たちにキリストの福音を伝える使徒になった事情については、使徒言行録の8-9章に詳しく記されていますので、お読みいただきたいと思います。
そして、彼はバルナバと共に異邦人たちにキリストの福音を伝えて、開拓伝道をしました。
キプロス島から小アジア(現在のトルコ)にいる異邦人たちにキリストの福音を伝えました。
パウロとバルナバとの第一回伝道旅行です(使徒言行録13-14章)。
彼らは、ローマ帝国の植民地で、属州であったガラテヤ地方のリストラ、イコニオン、デルベという町々の異邦人たちにキリストの福音を伝え、その町々に教会を建てました。
教会と言いましても、わたしたちのように土地と建物があるわけではありません。
ただ、ある人の家に人々が集まり、礼拝をし、祈りをしました。集まりました人々は、パウロやバルナバから説教を聞きました。キリストの十字架が人の罪の贖いで、異邦人たちにも神との和解の道が開かれたことを。そしてキリストの復活がキリストを救い主と信じる者の復活と永遠の命を保証していると。
彼らは喜んでパウロたちが語るキリストを、主と信じて、洗礼を受けました。そしてキリスト者となりました。
パウロは第二回伝道旅行で、ガラテヤ地方の諸教会のキリスト者たちを訪問しました(使徒言行録16:1-5)。
それからパウロたちはヨーロッパに渡り、マケドニア、アテネ、コリントへと伝道しました(同16:6-18:23)。
その短期間で、ガリラヤ地方の諸教会のキリスト者たちの信仰が一変してしまっていたのです。簡単に言えば、神の恵みによって信じる信仰から人の行いで救われる信仰に変わっていたのです。
だから、パウロは彼らの背教にあきれ果てて、この手紙の1章6節以下で、「ほかの福音はない」と告げているのです。
教会の悪い変化は、悪い伝道者、偽教師たちがいたからです。
彼らはパウロたちが去った後、エルサレムからやって来ました。彼らは、ユダヤ人キリスト者と呼ばれていました。彼らは、キリストを否定しません。十字架も復活も否定しません。きリスト教をユダヤ化しようとしたのです。
彼らは、パウロが12使徒ではなく、使徒の権威はないと主張しました。さらに彼らはパウロがキリスト信じる信仰だけで救われると言っているのは間違いだと言いました。
彼らはガラテヤの諸教会のキリスト者たちに、パウロが語るキリストの福音に代わって、割礼の福音を語りました。そして、ユダヤ人たちがしているように、異邦人たちも割礼を受け、モーセ律法を守り、ユダヤ人の習慣を守らなければならないと主張しました。
だから、パウロはこの手紙で次のことをしなければなりませんでした。
第一にパウロの使徒職(使徒としての権威)の擁護です。第二にキリスト教信仰の普遍性を守ることです。ユダヤ人だけが救われるのではありません。キリストの福音を聞いて信じる者すべてが救われるのです。第三にキリスト者の自由を守ることです。
ガラテヤの諸教会のキリスト者たちは信仰の自由を捨て、律法の奴隷になりました。パウロは、彼らにあきれ果てているのです。
それでも、パウロは彼らを見捨てません。パウロは、常に父なる神がキリストにあって彼らを永遠に選び、キリストの十字架の血で彼らを贖われた、その愛を見ていました。
こうしてパウロは自分の使徒職を擁護し、彼らの信仰の自由を守るために、この手紙の挨拶を書きました。
1節で「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」と、彼は手紙を書き始めます。
彼はガラテヤの諸教会のキリスト者たちに、パウロの使徒職は人から与えられたものではないと宣言しています。
彼はエルサレム教会の12使徒と同じように、キリストの代理人として、異邦人たちと彼らの教会にキリストの福音をもたらす権威を付与されていると述べています。
彼が主イエス・キリストと共に父なる神を、自分の使徒職の権威の根拠に挙げているのは、次のような狙いがあると思います。
彼は、旧約聖書の預言者エレミヤのように父なる神がキリストにあってパウロを使徒に選ばれ、彼は母の胎にいるときから、使徒の権威を与えられていたと主張しているのです。だから、彼が使徒であることに、どんな人間の行為も介在もないと。
ガラテヤの諸教会は、使徒パウロが一人で建て上げたのではありません。彼と共に労苦した者たちがいました。だから、パウロは、2節で「ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から」と記しています。
教会は人々が集まるところです。パウロだけでは教会は建て上げられません。一人では教会は成り立ちません(マタイ18:20)。
パウロと一緒にいる仲間がいるから、彼らがパウロと共にガラテヤ地方でキリストの福音を人々に伝えてくれたから、ガラテヤの諸教会があるのです。人々が集まり、その群れが礼拝を始め、説教が語られ、それを聞く聴衆がおり、彼らは聞いた喜びを周りの人々に伝えました。それが何年、何十年続けられ、教会がその地方に持続するのです。
ところがパウロは、この手紙の宛先であるガラテヤの諸教会に対してぶっきらぼうというか、素っ気ないです。
「ガラテヤ地方の諸教会へ」という一言です。
ある注解書を読みますと、次のように記されています。「彼は静かで釣り合いのとれた手紙など書く心境にはなかった。始めから彼の言葉は挫折の感情と憤激をむき出しにしている。彼にとってその問題は胸糞わるく、書き出しからして彼は心情をぶちまけるのである」(コンパクト聖書注解『ガラテア人への手紙』教文館 P28-29)。
だが、パウロは手紙の宛名に「ガラテヤ地方の諸教会へ」と書きました。パウロが伝え、教えた信仰を捨てたのに、彼らは背教しているのに、パウロはなおも、ガラテヤ地方の諸教会を見捨てませんでした。彼らから教会の看板をはぎ取り、キリスト者の名をはぎ取りませんでした。
宗教改革者カルヴァンは、次のようにコメントしています。「ある集会の教理と実践が、あらゆる点で我々の欲するところに適していないからといって、直ちにその欠陥を理由としてその社会から教会という名を取り上げてしまってはならない」(田中剛二著作集第三巻『ガラテヤ書講義』新教出版社P32)と。
教理と実践においてあるべき純潔さがないと判断すれば、わたしたち改革派教会は、そこは教会ではないと言わないでしょうか。
ところが、パウロは、ガラテヤの地方の諸教会のキリスト者たちに多くの信仰の誤謬と罪を認め、彼らの背教にあきれ果てつつも、キリストの名のもとに集まる彼らを、「教会」と呼び、彼らを「兄弟」として受け入れ、彼らにこの手紙で勧告しているのです。
先ほど「教会は人の集まるところだ」と言いました。どうして人が集まるのでしょう。キリストの十字架の血の贖いによって買い取られた人々だからです。
わたしたちは自分の目だけで、教会と兄弟姉妹たちを判断すべきでありません。
パウロは、ガラテヤの地方の諸教会がキリストの十字架の血で買い取られた教会と信じるゆえに、そこに復活の主イエスは臨在されると信じています。
だから、3節で次のように祈ることができるのです。
「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように」
パウロは、神の恵みは人間の知恵と対立することを知っています。人間の知恵は、パウロの使徒職を、父なる神とキリストが与えられたと信じることはできません。ましてパウロは、人間の知恵と神の恵み、キリストの恵みとは対立すると考えています。
神の恵みは人の弱さの中に現れるからです。そして、わたしたち人間は、キリスト者であっても自分に弱さがあることを認めることができません。
ガラテヤの諸教会に父なる神とキリストの恵みと平和があることがパウロには重要なことでした。
その理由は4節の定型句にあります。これは、キリスト教信仰の決まり文句です。
「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」
この定型句で、パウロは驚くべきことに、ガラテヤ地方の諸教会のキリスト者たちやそこに集まる人々に、父なる神とキリストの救いの恵みを約束しているのです。
先ほど言いましたように教会はキリストの十字架の血によって買い取られたのです。
だから、パウロは、キリストの犠牲的献身の定型句を用いて、父なる神とキリストの恵みを救いの主要な根拠として、また、平和を人間が悪しき世から救い出されて、解放される過程として理解するゆえにガラテヤ地方の諸教会がどんなに今腐敗していようと、父なる神とキリストが恵みよって救ってくださると約束するのです。
パウロは手紙の最初と終わりで、神の栄光を讃えつつ、神とキリストの恵みと平和で、この手紙全体を結び付けています(囲っています)。
だから、5節でパウロは、次のように述べて、アーメンと言っているのです。
「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。 」
パウロの頌栄です。わたしたちの神であり、父であるお方は、主イエス・キリストを死者の中から復活させたお方です。その全能のお方が、ガラテヤ地方の諸教会で毎週日曜日に礼拝で、彼らをキリストの恵みに招いてくださるのです。
そこで「人々からでもなく、人を通してでもなく」、父なる神とキリストとによって立てられた権威に生きる者が語る説教を福音として聞くことで、キリストの教会が建ち、持続されていくのです。
こうしてパウロの御言葉から、わたしたちはこの日曜日の礼拝が全能の神の奇跡の御業であることを理解させられるのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、今朝よりガラテヤの信徒への手紙を講解説教します。
どうかガラテヤの信徒への手紙を学ぶことで、臨在のキリストの恵みを見させてください。
礼拝で御言葉を聞ける恵み、聞いて信じた者が信仰告白し、洗礼を受ける恵みを見させてください。
願わくは、共に聖餐にあずかり、祈りと奉仕と学びにあずからせてください。
わたしたちの教会がキリストの十字架の血で買い取られた群れであり、父なる神とキリストの恵みと平和で満たされていることを、常に覚えさせてください。
教会の70周年を祝いましたが、復活の主イエスがその70年間、この教会と共に歩んでくださり、今ここに教会があることを感謝します。
小さな群れでありますが、クリスマス月間に、わたしたちの家族や知人、諏訪地方の人々を、松本や伊那の人々をお誘いし、共に礼拝したいと願っています。どうかクリスマスに心から父なる神とキリストを讃えさせてください。
この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ガラテヤの信徒への手紙説教02 主の2018年11月18日
キリストの恵みへと招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返し言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあせくせしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。
ガラテヤの信徒への手紙第1章6-10節
説教題:「教会を建て、持続する福音」
先週よりガラテヤの信徒への手紙を学び始めました。
使徒言行録14章を読みますと、次のように記されています。使徒パウロとバルナバは、紀元46-48年に第1回伝道旅行をしました。シリアのアンティオキアから出発し、地中海のキプロス島を経て、小アジア(現在のトルコ国)に渡り、キリストの福音をユダヤ人の会堂で語りました。
使徒言行録の14章はその伝道旅行の終わりの描写です。彼らは、イコニオンのユダヤ人の会堂でキリストの福音を伝えました。すると、大勢のユダヤ人たちとギリシア人たちがキリスト教信仰に入りました。
ところがユダヤ人たちが来て、彼らの伝道を妨害しました。町に騒動が起こりました。彼らの命が危険になりました。二人はイコニオンの町を離れ、リカオニア州のリストラとデルベの町へと逃れました。
デルベの町で二人はキリストの福音を伝えて、多くの弟子たちを養成しました。そして、その弟子たちを力づけながら、シリアのアンティオキアに戻り、第1回伝道旅行を終えました。
紀元49年にエルサレムで使徒会議が開かれました。使徒言行録の15章にその会議が記録されています。その会議でパウロとバルナバたちの異邦人伝道が認められました。この会議で初代教会は異邦人伝道を拡大することになりました。異邦人キリスト者たちがユダヤ人たちをつまずかせなければ、彼らはユダヤ人の習慣を押し付けられないということを確認する会議でした。
異邦人たちは割礼を受けなくてもよい。信仰だけで、キリスト者になれる。これは異邦人たちにとって本当に福音でした。
使徒会議後パウロとバルナバは第2回伝道旅行を計画しました。ところが、第1回伝道旅行で途中離脱した弟子のマルコのことで喧嘩別れしました。
パウロはシラスを同伴者に選び、紀元49年-52年に小アジアからヨーロッパに向けて第2回伝道旅行しました。
その時にパウロは、バルナバと共に開拓伝道したガラテヤの諸教会を訪問しました。パウロはデルベとリストラを訪れ、リストラとイコニオンで、すなわち、ガラテヤ地方の諸教会で評判の良かったテモテを、彼の弟子にしました。
使徒言行録は16章6節でパウロたちが「フルギア・ガラテヤ地方を通って行った」と記述しています。この記述で、ガラテヤ地方の諸教会が北ガラテヤにあったのか、南ガラテヤにあったのかと、今日も延々と論争されているのです。
わたしは、「フルギア・ガラテヤ地方」を、パウロたちは何もしないで、通過したはずがないと思います。キリストの福音を伝えたろうし、その地方でキリストの弟子を育てたでしょう。パウロが去った後、弟子たちはその地で熱心に伝道し、ガラテヤの諸教会を建て上げたろうと思います。
しかし、これは想像の域を出ません。歴史的証拠はありません。
確かなことは、パウロたちがヨーロッパのマケドニアに渡って、アテネ、コリントと伝道の旅を続けている間に、ガラテヤの地方の諸教会にエルサレムから割礼の福音を語るユダヤ人キリスト者たちがやって来たのでしょう。
彼らは、パウロの使徒職を否定し、パウロは12使徒たちのようにキリストから権威を与えられていないと主張しました。
さらに、彼らは信仰だけでは救いに十分ではないと主張しました。割礼を受け、モーセ律法を守り、ユダヤ人の習慣を守る必要があると教えたのです。
そこでガラテヤの諸教会のキリスト者たちは、後からやって来た「割礼の福音」(ガラテヤ2:7‐8)を伝える者たちにすっかり惑わされてしまいました。
ここではパウロは「ほかの福音」と言っています。それにガラテヤの諸教会のキリスト者たちが乗り換えました。
先週もお話ししましたように、本当に短期間で、ガリラヤ地方の諸教会のキリスト者たちの信仰が一変してしまっていたのです。簡単に言えば、神の恵みによって信じる信仰から人の行いで救われる信仰に変わっていたのです。
だから、パウロは彼らの背教にあきれ果てて、今朝の御言葉で、パウロは「ほかの福音はない」と警告しました。
パウロは、彼が語るキリストの福音のほかに福音なるものを一切認めません。
なぜなら、主イエス・キリストの父なる神は、このキリストの福音を通して、わたしたち罪人をキリストの恵みに招き入れてくださるからです(ガラテヤ1:6)。
どうか週報の礼拝順序を見て、よくよく考えてほしいと思います。礼拝は奏楽がなされ、「招詞」で始まります。これは、礼拝という行為が、何を意味するかを教えています。キリストの父なる神がわたしたちをキリストの恵みへとお招きくださるのです。
だから、この礼拝に招かれたわたしたちは、罪を告白し、十字架のキリストの恵みのゆえに、罪の赦しにあずかるのです。
わたしたちは、どうしてこの礼拝順序通りに、礼拝をしているのでしょうか。お考えになったことはありますか。習慣でやっているのではありません。
信じてしているのです。神は目に見えません。しかし、わたしたちは神が生きておられると信じています。
その信仰に立てば、わたしたちは、神の行為は教会の行為として現れていると信じていることになります。
教会は、父なる神がわたしたちにキリストの恵みへと招いてくださることで、豊かになり、成長し、持続していくのです。
だから、礼拝説教はキリストの恵みを福音として語られなければなりません。パウロが言う「ほかの福音」のように聞く者に、キリストの恵みを伝えずに、行いによる救いを求めるものであってはなりません。
パウロが6節で「キリストの恵みに招いてくださる」と語っていることが、礼拝の中心であり、本質なのです。
なぜなら、だれも、このキリストの恵み無くして、主イエスをキリストと信じ、神の栄光をあらわし、賛美する者はいません。
このキリストの恵みこそがこの世におけるキリスト者の実存を可能としているのです。
だから、パウロは、ローマの信徒への手紙5章2節で、こう記しています。「このキリストのおかげで、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」
パウロは「このキリストのおかげで」と、キリストがわたしたちの仲保者であることを言っています。
わたしたちは、キリストが父なる神とわたしたちの間を取り持ってくださったので、今この礼拝に父なる神に招かれているのです。こうしてわたしたちがここで礼拝することそのものが、「このキリストのおかげで、今の恵みに信仰によって導き入れられ」ていることなのです。
わたしたちがキリスト者として導き入れられているこの教会の礼拝という場所は、父なる神が「キリストの恵みへと招いてくださった」場所なのです。
だから、わたしたちは、ここでキリストの福音を聞いて、キリストの十字架のゆえに父なる神に罪を赦されているのです。またキリストが死ぬまで父なる神の御前に従順となり、得られた義を、わたしたちに賜ったので、わたしたちは父なる神に義と認めていただく祝福を得たのです。
だから、この礼拝でわたしたちは心から神を喜び賛美し、永遠に神を喜び、楽しむのです。
パウロは、ガラテヤの地方の諸教会のキリスト者たちがキリストの恵みを捨てて、再び律法の奴隷になろうとすることが信じられませんでした。
「わたしはあきれ果てています」。新改訳聖書2017は、口語訳聖書と同様に「私は驚いています」と訳しています。
パウロは、主イエスがファリサイ派の人々の不信仰を驚き怪しまれたように、ガラテヤ地方の諸教会のキリスト者たちがキリストの恵みから律法の奴隷になろうとすることを驚き怪しんでいるのです。
「キリストの恵み」は、父なる神がキリストを仲保者としてわたしたち罪人が神に近づけることを可能としてくださった道です。
だから、パウロは、彼らにはっきりと7節で宣言しています。「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」。
キリストの恵みの福音以外に神に近づける道はないのです。「ほかの福音」はありません。
なぜなら、パウロたちが語るキリストの福音だけが、わたしたちをキリストの恵みに立たせてくれるからです。
だから、パウロは、キリストの福音に反することをすれば、パウロ自身も、天使たちも呪われると警告するのです(8-9節)。
「呪われるがよい」とは、「神に見捨てられるがよい」という意味です。パウロは二度繰り返していますので、ガラテヤの諸教会のキリスト者たちに彼らの背教という罪の深さを知らしめているのです。
この世にあってキリスト者は誘惑を避けられません。実にキリストの恵みに立つことは難しいと思います。
初めに聞いたキリストの恵みの福音にとどまることは、この世にあっては迫害と苦難に遭うと同じでしょう。
どうしてでしょうか。迷いがあるからです。10節のパウロの御言葉に、世にあるキリスト者の苦しみを見出せるのではないでしょうか。
パウロは、「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。」と反問しています。
この「取り入る」という言葉は、神と人間との関係で使われるとき、「償う」「満足させる」という意味です。そこから転用されて、「意にかなう」「人の気にいる」という意味になりました。
ここでパウロは、「わたしは人に喜ばれようとしているのか。神に喜ばれようとしているのか」と反問しているのです。
これは、この世のキリスト者が直面することです。
しかし、パウロは反問しつつ、最後に自分は人を喜ばせることから解放され、神をのみ喜ばせようとこの世において実践しているのだと言うのです。
だから、パウロは、はっきり今自分が人を喜ばせることだけをしているなら、キリストの僕ではないと宣言しています(10節)。
このパウロの宣言は、キリストの恵みに立つ者の宣言です。
キリストは、恵みによってあの十字架で、御自身の死をもってわたしたち罪人を贖われたのです。
この贖いは、昔の神の民イスラエルの生活から生まれました。貧しさから神の民イスラエルは、神から与えられた嗣業の地を他人に手放さなければなりませんでした。そこで自分では償いきれない借金を、親戚の者が代わって償い、失った嗣業の地を買い戻してくれました。これを贖いと言いました。
キリストは、わたしたち罪人が神に対して負った罪の負債を、自らの命を捨てることで贖ってくださいました。滅びて当然のわたしたちはキリストの十字架の死によって罪と死から、悪魔の支配から贖われ、買い戻されたのです。だから、今このキリスト者の体は自分のものであっても、真の所有者はキリストです。
だからキリスト者はキリストの奴隷、僕であり、常にキリストを喜ばすことを考えて、この世を生きているのです。
しかし、現実のキリスト者は霊において神とキリストを喜ばせようと思っても、肉なる体はその思いとは反対のことをし、自分や人の喜ぶことに傾きやすいのです。
だからこそ、弱いわたしたちは、キリストの恵みへと招いてくださる神から離れてはなりません。この礼拝から離れてはなりません。常にここでキリストの恵みに立ち続けるのです。キリストの恵みの内にわたしたちが立ち続ける限り、主はこの小さな群れを継続的に成長させ続けてくださるのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、今朝はガラテヤの信徒への手紙から、教会を建て、持続する福音について学ぶことができて感謝します。
どうかパウロが今朝の御言葉からわたしたちに語りましたキリストの福音に、キリストの恵みを信じて、固く立たせてください。
わたしたちは、小さな群れで、弱い者たちです。霊においては神とキリストに栄光を、と思いつつ、わたしたちの肉なる体はこの世に、自分と人を喜ばせることに傾きます。
キリストの恵みによってわたしたちに信仰を与え、その信仰を、礼拝でキリストの福音を聞いて、成長させてください。
12月にクリスマス月間が始まり、クリスマスのメッセージとクリスマス讃美歌を歌います。わたしたちの家族、知人、この町の人々を、キリストの恵みにお招きください。
どうか、この礼拝で御言葉を聞ける恵み、聖餐にあずかれる恵みと共に、信仰告白し、洗礼を受ける者を見る恵みをお与えください。
この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ガラテヤの信徒への手紙説教03 主の2019年1月6日
こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられあのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのよういふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同法の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしの母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
それから三年後、ケファと知り合いになろうとして、エルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキヤの地方に行きましたキリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。
ガラテヤの信徒への手紙第1章10-24節
説教題:「福音はキリストの啓示」
新年おめでとうございます。今年一年、主イエス・キリストの光の中を、共に歩んで行きましょう。
昨年11月よりガラテヤの信徒への手紙を学び始めました。12月はクリスマス月間で、1か月中断しました。本日より学びを再開します。
これまでガラテヤの信徒への手紙の1章10節まで学びました。簡潔に復習し、先に進みましょう。
ガラテヤの信徒への手紙は、使徒パウロが小アジア、現在のトルコの国にありましたガラテヤ地方の諸教会に宛てて書いた手紙です。
使徒パウロは、バルナバと共に、紀元46年から48年に第一回伝道旅行をしました。バルナバの故郷、キプロス島を経由して、小アジアへとキリストの福音を異邦人たちに伝えました。そして、彼らが異邦人たちにキリストの福音を伝えると、そこに信者の群れが生まれました。
使徒パウロとバルナバが異邦人たちに伝道しましたので、紀元49年にエルサレムで使徒会議が開かれました。そこで異邦人キリスト者たちにはユダヤ人の伝統を、すなわち、割礼とユダヤ人たちの習慣を強制しないということを決めました。
そして、パウロは、紀元前49年から52年まで第二回伝道旅行をしました。彼は、小アジアで伝道したガラテヤの地方の諸教会を訪ね、彼らを励ましました。さらに彼は、聖霊が導かれるままにヨーロッパに渡り、マケドニア、アテネ、コリントへと伝道を広げていきました。
おそらくパウロが51年から52年までコリントに滞在していた時に、ガラテヤ地方の諸教会で問題が起こりました。
そのことを、パウロは1章6節で次のように記しているのです。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」
「わたしはあきれ果てています。」は、「わたしは驚いています」という意味です。これは、パウロがこの手紙の読者であるガラテヤ諸教会のキリスト者たちにこの事態に困惑している彼の様子を率直に伝えているのです。
そして、大切なことは、使徒パウロがガラテヤ諸教会のキリスト者たちが重大な過ちを犯したことに怒る以上に、彼らが過ちに気づいて、自分たちの罪を認め、更生してくれるように願っているということです。だから、彼らが1年も経ないのに、パウロたちが伝えた福音から離れて、ほかの福音に乗り換えていることを驚き、困惑しているのです。
その意味で、新共同訳聖書の「わたしはあきれ果てています」という意訳は不適切と思います。昨年出版された「聖書協会共同訳」聖書は、「私は驚いています」と適切に訳しています。
パウロは、重大な過ちを犯した兄弟姉妹たちを切り捨てようとしているのではありません。むしろ、彼は彼らをもう一度正しい信仰に連れ戻すために、彼らと共に歩もうとしているのです。そして、彼らを、パウロたちの福音宣教を通して「キリストの恵みへと招いてくださった方」の下に連れ戻そうとしているのです。
羊飼いが迷った羊を探し出して、群れの中に連れ戻すように、パウロも同じことをしようとしているのです。
だから、重大な過ちを犯した者たちに対して、パウロは「ほかに福音はありません」と、きっぱりと宣言しています。
パウロがガラテヤ諸教会を去って、ヨーロッパに渡りまして、ガラテヤ諸教会に偽使徒たちがやって来ました。
彼らは、パウロが使徒であることを否定しました。そして、パウロが伝えた福音では不十分であると主張したようです。主イエスを救い主と信じて、洗礼を受けるだけでは不十分であると言いました。割礼を受けてユダヤ人になり、ユダヤ人のように律法を守り、安息日を厳守し、ユダヤ人の祭りと習慣を守るように教えました。
要するにキリストの恵みに招かれて、信仰によって救われる道から外れて、行いによって救われる道へと惑わされたのです。
パウロが語りましたキリストの福音は、ガラテヤ諸教会のキリスト者たちに、すなわち、ユダヤ人でない異邦人たちにとって良い知らせでした。キリストが彼らのために死なれて、彼の罪を負い、死人の中から復活して得られた永遠の命を、キリストを主と信じる彼らに無償で与えてくださったのです。
今ガラテヤの諸教会のキリスト者たちは、この恵みを捨てて、神の律法を守ることで救われようとしています。もし、神の律法を一つでも破れば、永遠の死という刑罰を負わなければなりません。
だから、パウロは自分たちの福音を覆して、人々を滅びへと導こうとする者は、神に呪われるべきであると宣言しているのです。
こうして今朝の1章10節の御言葉につながるのです。
1章10節からこの手紙の本論が始まります。本論は、二部構成になっています。1章10節から2章14節が本論の第一部です。2章15節から6章10節が第二部です。
この手紙の中心主題は、キリストの福音です。第一部では福音のキリスト啓示が語られ、パウロはそれを擁護します。
10節はその導入です。
まずパウロは、「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。」と反問しています。
この「取り入る」という言葉は、神と人間との関係で使われるとき、「償う」「満足させる」という意味です。そこから転用されて、「意にかなう」「人の気にいる」という意味になりました。
続いてパウロは、「わたしは人に喜ばれようとしているのか。神に喜ばれようとしているのか」と反問しています。
このパウロの反問の背後に、パウロが偽使徒たちから彼の使徒性を否定され、彼の福音を否定されていることを読み取れるでしょう。
だから、パウロは、反問しつつ、彼が主の奴隷であり、主から遣わされて、異邦人の使徒とされたことを擁護し、彼が語る福音が人からのものではないことを擁護しているのです。
彼は、エルサレムにいる使徒たちから異邦人の使徒に任命されたのではありません。だから、彼は次のように宣言しているのです。
11節と12節です。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられあのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」
このパウロの宣言こそ、パウロが異邦人の使徒として福音宣教する行動原理です。
パウロの行動原理は、彼が語る福音のキリスト啓示に根拠づけられているのです。
パウロは、ガラテヤ諸教会のキリスト者たちに「兄弟よ」と呼びかけて、彼の行動の原理を説明するのです。
あのダマスコへの途上で、パウロは復活の主イエスに出会いました。パウロにとってそれが福音でした。パウロが福音を受け入れることは、復活の主イエスを受け入れることでした。
パウロは、ダマスコ途上で復活の主イエスに出会い、そして、主イエスを信じました。その出来事は、後に彼が証しするように、キリスト教会の迫害者からキリストの福音を異邦人の宣教する者に変えられたのです。
だから、使徒パウロがガラテヤ諸教会のキリスト者たちに語りました福音は、パウロが直接にキリストから啓示を受けた喜びでありました。
今もわたしたちは、このガラテヤの信徒への手紙を通して、パウロが直接にキリストの啓示を受けた喜びを、ガラテヤの諸教会のキリスト者たちと同様に知らされているのです。
そして、パウロが直接にキリスト啓示として受け入れた福音を、パウロは1章4節に次のように記しています。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」。
この福音をパウロは、復活の主イエスから直接喜びの知らせとして受けたのです。そして彼は、その喜びの福音をガラテヤの諸教会のキリスト者たちに福音として告げ知らせました。
だから、彼は、真に他の使徒たちと同様にキリストが派遣された使徒であり、彼の告げ知らせる福音には神の権威がありました。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、今朝よりガラテヤの信徒への手紙の学びを再開します。
どうか、パウロが語る福音がキリスト啓示によって与えられらものであり、彼のガラテヤへの信徒への手紙は神的権威があり、その御言葉に聞き従うことが、わたしたちキリスト者の義務であり、幸いであることを学ばせてください。
どうかパウロが語ります今朝の御言葉に固く立たせてください。
どうか、今年一年、礼拝で神の御言葉を聞ける恵み、聖餐にあずかれる恵みと共に、信仰告白し、洗礼を受ける者を見る恵みをお与えください。
ガラテヤの信徒への手紙説教04 主の2019年1月13日
こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあせくせしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられあのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのよういふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同法の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしの母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
それから三年後、ケファと知り合いになろうとして、エルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキヤの地方に行きましたキリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。
ガラテヤの信徒への手紙第1章10-24節
説教題:「パウロの回心と召し」
パウロがガラテヤ諸教会を去って、ヨーロッパに渡りまして、ガラテヤ諸教会に偽使徒たちがやって来ました。
彼らは、パウロが使徒であることを否定しました。そして、パウロが伝えた福音では不十分であると主張したようです。主イエスを救い主と信じて、洗礼を受けるだけでは不十分であると言いました。割礼を受けてユダヤ人になり、ユダヤ人のように律法を守り、安息日を厳守し、ユダヤ人の祭りと習慣を守るように教えました。
要するにキリストの恵みに招かれて、信仰によって救われる道から外れて、行いによって救われる道へと惑わされたのです。
パウロが語りましたキリストの福音は、ガラテヤ諸教会のキリスト者たちに、すなわち、ユダヤ人でない異邦人たちにとって良い知らせでした。キリストが彼らのために死なれて、彼の罪を負い、死人の中から復活して得られた永遠の命を、キリストを主と信じる彼らに無償で与えてくださったのです。
今ガラテヤの諸教会のキリスト者たちは、この恵みを捨てて、神の律法を守ることで救われようとしています。もし、神の律法を一つでも破れば、永遠の死という刑罰を負わなければなりません。
だから、パウロは自分たちの福音を覆して、人々を滅びへと導こうとする者は、神に呪われるべきであると宣言しているのです。
こうして今朝の1章10節の御言葉につながるのです。
1章10節からこの手紙の本論が始まります。本論は、二部構成になっています。1章10節から2章14節が本論の第一部です。2章15節から6章10節が第二部です。
この手紙の中心主題は、キリストの福音です。第一部では福音のキリスト啓示が語られ、パウロはそれを擁護します。
10節はその導入です。
まずパウロは、「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。」と反問しています。
この「取り入る」という言葉は、神と人間との関係で使われるとき、「償う」「満足させる」という意味です。そこから転用されて、「意にかなう」「人の気にいる」という意味になりました。
続いてパウロは、「わたしは人に喜ばれようとしているのか。神に喜ばれようとしているのか」と反問しています。
このパウロの反問の背後に、パウロが偽使徒たちから彼の使徒性を否定され、彼の福音を否定されていることを読み取れるでしょう。
だから、パウロは、反問しつつ、彼が主の奴隷であり、主から遣わされて、異邦人の使徒とされたことを擁護し、彼が語る福音が人からのものではないことを擁護しているのです。
彼は、エルサレムにいる使徒たちから異邦人の使徒に任命されたのではありません。だから、彼は次のように宣言しているのです。
11節と12節です。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられあのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」
このパウロの宣言こそ、パウロが異邦人の使徒として福音宣教する行動原理です。
パウロの行動原理は、彼が語る福音のキリスト啓示に根拠づけられているのです。
パウロは、ガラテヤ諸教会のキリスト者たちに「兄弟よ」と呼びかけて、彼の行動の原理を説明するのです。
あのダマスコへの途上で、パウロは復活の主イエスに出会いました。パウロにとってそれが福音でした。パウロが福音を受け入れることは、復活の主イエスを受け入れることでした。
パウロは、ダマスコ途上で復活の主イエスに出会い、そして、主イエスを信じました。その出来事は、後に彼が証しするように、キリスト教会の迫害者からキリストの福音を異邦人の宣教する者に変えられたのです。
だから、使徒パウロがガラテヤ諸教会のキリスト者たちに語りました福音は、パウロが直接にキリストから啓示を受けた喜びでありました。
今もわたしたちは、このガラテヤの信徒への手紙を通して、パウロが直接にキリストの啓示を受けた喜びを、ガラテヤの諸教会のキリスト者たちと同様に知らされているのです。
そして、パウロが直接にキリスト啓示として受け入れた福音を、パウロは1章4節に次のように記しています。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」。
この福音をパウロは、復活の主イエスから直接喜びの知らせとして受けたのです。そして彼は、その喜びの福音をガラテヤの諸教会のキリスト者たちに福音として告げ知らせました。
だから、彼は、真に他の使徒たちと同様にキリストが派遣された使徒であり、彼の告げ知らせる福音には神の権威がありました。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、今朝よりガラテヤの信徒への手紙の学びを再開します。
どうか、パウロが語る福音がキリスト啓示によって与えられらものであり、彼のガラテヤへの信徒への手紙は神的権威があり、その御言葉に聞き従うことが、わたしたちキリスト者の義務であり、幸いであることを学ばせてください。
どうかパウロが語ります今朝の御言葉に固く立たせてください。
どうか、今年一年、礼拝で神の御言葉を聞ける恵み、聖餐にあずかれる恵みと共に、信仰告白し、洗礼を受ける者を見る恵みをお与えください。
この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
ガラテヤの信徒への手紙説教05 主の2019年2月3日
その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。―この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。—実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしに働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしたちも心がけてきた点です。
さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしたからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように。生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活をすることを強要するのですか。」
ガラテヤの信徒への手紙第2章1-14節
説教題:「福音の真理を守る」
本日よりガラテヤの信徒への手紙第2章に入ります。
第2章1-14節までお読みしましたが、今朝は1-10節の御言葉を学びたいと思います。
パウロは、彼がエルサレムを再訪したことについて記しています。
その目的はエルサレムで開かれた使徒会議に出席することでした。
パウロはバルナバと共に、シリアの異邦人教会であるアンティオキアから派遣されて、紀元46-48年まで第1回伝道旅行をしました。キプロス島から小アジア、現在のトルコの国に渡り、ガラテヤ地方の異邦人たちにキリストの福音を宣べ伝えました。多くの異邦人たちがキリストを信じて洗礼を受け、キリストの弟子になりました。そして、パウロたちは、教会を建て、長老たちを任命しました。
その結果、使徒言行録15章に記録されている使徒会議が紀元49年、歩いアハ50年にエルサレムで開かれました。
パウロとバルナバは、会議に出席するためにパウロの弟子テトスを同伴させて、エルサレムを再度訪れました。
そして、パウロはエルサレム教会のおもだった人たちと交流しました。そこで彼らは伝道について、ユダヤ人と異邦人に分担することに合意しました。エルサレム教会のおもだった人たちは割礼を受けたユダヤ人たちへの伝道を担当し、パウロたちは異邦人伝道を担当することを確認しました。
パウロは1章18節から復活の主イエスとの出会いの体験、ダマスコの砂漠の滞在、エルサレム訪問、シリアとキリキアの滞在、そしてエルサレムへの再訪という一連の出来事を、「それから」という接続詞で結びつけています。
「十四年たってから」は、パウロが回心してからエルサレムを再度訪れるまで14年間という年月が過ぎたということでしょう。
パウロの回心が紀元36年ですので、それに14年を足すと、紀元50年となり、エルサレムの使徒会議は49年、50年頃に開かれたと、考えられます。
パウロは、2節でエルサレム再訪を、「啓示によるものでした」と述べています。彼は、復活の主イエスがエルサレムの使徒会議を招集されたと考えたのでしょう。
「エルサレムに再び上りました」の「上りました」は本来上に向かって移動するという意味の動詞です。ユダヤ人たちは、過越、ペンテコステ、仮庵の祭の時に、エルサレムの都に上り、神殿で主なる神を礼拝しました。それと同じほどエルサレムの使徒会議は重要だったのでしょう。
パウロは会議の合間に、あるいは前後でエルサレム教会のおもだった人たちと個人的に面談しました。そして異邦人伝道について合意を得ようとしました。使徒会議を成功させ、その後にパウロがさらに異邦人伝道を拡大していくために重要な面談でした。
パウロにとってエルサレムお再訪の成果は、おもだった人たちとの面談で異邦人伝道について合意を得たことでしょう。
パウロは、2節で、おもだった人たちを訪れて、パウロの異邦人伝道が徒労か、あだ花かと、意見を求めています。
さらにパウロは、7-8節でおもだった人たちとパウロが偏り見ない主なる神にそれぞれがキリストの福音を任されたことに合意しています。ペトロたちは割礼を受けたユダヤ人たちに、パウロたちは異邦人に。
そして、パウロは、9節でおもだった人たちとパウロとの間で一致のしるしとして、右手を差し出すという行為を行ったと記しています。一致のしるしとして握手したのです。握手は、信頼と友情と同盟の証しでありました。
友好の握手です。これは万国共通でしょう。パウロとペトロ、ヤコブ、そしてヨハネたちは友好の握手を交わし、物資の共有、信頼の共有、そして宣教活動の共有を合意したのです。
そうした友好な関係の中で、パウロは、5節で彼の弟子、ギリシア人であるテトスが割礼を強制されなかったと記しています。
驚くべきことに、偽兄弟たちがパウロとおもだった人たちとの個人的面談の場に潜り込んで、パウロたちを彼らに隷属させようと監視している最中でも、テトスに割礼が強制されることはなかったのです。
パウロは、偽兄弟たちに妥協することはありませんでした。パウロがガラテヤ諸教会のキリスト者たちに語りましたキリストの福音の真理を守るために、決しておもだった人たちの前で偽兄弟たちに妥協することはありませんでした。
偽兄弟たちは、割礼を通して異邦人たちをユダヤ人の民族アイデンティティへと統合しようとしていたのでしょう。そのために異邦人キリスト者たちに割礼を強いる強制を、パウロは「彼らはわたしたちを奴隷にしようとして」と記しているのです。
パウロは、偽兄弟たちに決して妥協することはありませんでした。彼らの圧力にパウロが決して屈しないのは、理由がありました。5節で、パウロは、ガラテヤの諸教会のキリスト者たちにこう述べています。「福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように」。
主イエスは、言われました。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:31-32)と。
パウロが言う「福音の真理」は、キリストの啓示であり、キリストの御言葉です。すなわち、パウロの福音を聞いたガラテヤの諸教会のキリスト者たちは、パウロの語るキリストを信じたのです。御言葉であるキリストを、パウロが語る十字架のキリスト、そして復活のキリストを深く信頼したのです。福音の真理、パウロが語りキリストの御言葉は、聞く異邦人たちには見せかけのものではありませんでした。十字架のキリストは、確かに彼らの罪のために十字架で死なれました。そのキリストは、三日目に復活され、彼らの永遠の命の保証人となられました。
だから、ガラテヤの諸教会のキリスト者たちは、パウロの語るキリストの福音を聞いて、キリストを救い主と信じて、洗礼を受け、キリストの弟子になりました。彼らは、ユダヤ人になることを強制されません。反対に異邦人のまま、罪と死の奴隷になり、この世の快楽に溺れることもありません。
文字に縛られることはありません。聖霊がキリスト者の心に主イエスの思いを刻み付けて下さっています。だから、誰に強制されなくても、キリスト者はキリストの弟子として生きる術を知っているのです。なぜなら、彼はキリストが愛される者を愛するでしょう。主イエスは、生涯貧しく、貧しい者と共に生きられました。だから、キリスト者も教会も貧しく、貧しい者と共に生きるのです。
パウロは、10節で「わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでした」と述べていますね。パウロがおもだった人たちと合意したことは異邦人伝道についてだけではありません。貧しい人たちのことについても合意したのです。
彼らは、福音宣教の分担について合意し、握手しました。しかし、エルサレムの使徒会議は福音宣教についてだけ合意したのではありません。「わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでした」という御言葉は、エルサレムの使徒会議における合意の補足でしょう。
「忘れないように」とは、「記憶する」という意味です。キリスト教会は、礼拝と伝道、そして、貧しい者への施しを、常に記憶して、この世に、世の光として輝き、地の塩として存在し、継続し続けるのです。
礼拝のことを常に思い起こし、伝道のことを思い起こし、そして貧しい者たちへの施しを思い起こしながら、毎週の日曜日に礼拝をし、その礼拝が狭い意味で、この世の人々にキリストを証しする伝道となり、日々にわたしたちは生活の中でキリストの弟子であることを証しし、人々に、家族にキリストを伝えています。そして、貧しい人たちを常に記憶し、貧しい人たちに施しをします。それは、隣人の窮状から目を逸らさないということです。大震災があれば、被災者のために祈り、物資の援助をし、被災された方々の心をケアーします。
「忘れない」という言葉は、今日で言えば、救済活動に従事するという意味です。
ルカによる福音書は、主イエスがお育ちになったナザレで福音宣教されたことを伝えています。その時主イエスは、預言者イザヤの御言葉を告げ知らされました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
今、教会がこの世にあるのは、神に選ばれた者がここに召されて礼拝をし、ここから遣わされて、世の人々にキリストの福音を宣べ伝えて、キリストの弟子とし、価値の多様化する社会の中で貧しい者から目を逸らさないで、彼らを記憶し、援助の手を差し伸べ、教会とこの世のきずなを結び、そして、主イエスが再び来られる大いなる恵みの年を、教会は世の人々に告げ知らせるのです。
お祈りします。
主イエス・キリストの父なる神よ、本日よりガラテヤの信徒への手紙の第2章を学べることを感謝します。
どうか、パウロがエルサレムを再訪したことを学ぶことを通して、キリスト者と教会がどうしてこの世に存在を許されているのかに、わたしたちの心を思う巡らせることができ、心から感謝します。
パウロとエルサレムのおもだった人たちとの合意が、宣教活動だけでなく、貧しい者を常に記憶することだったことを学び、今わたしたちとこの教会が心とめることは、礼拝と伝道、そして貧しい者を記憶することだと教えられました。
わたしたちは、教会で毎週の礼拝を通して、キリストの福音を聞き、真理であるキリストがわたしたちの自摸のために十字架に死なれたこと、永遠の命の保証として復活されたことを信じて、主イエスをわたしの救い主と受け入れ、洗礼を受けて、キリストの弟子となりました。
どうか、聖霊なる神よ、わたしたちの心にキリストの思いを刻み付け、キリストが愛されるものを愛し、慈しまれる者を慈しみ、キリストが貧しい者と共に生きられ、弟子たちに「貧しい者は常にあなたがたと共にいる」と言われた貧しい者を忘れないで、援助の手を差し伸べさせてください。
これから聖餐の恵みに共にあずからせ、今主イエスと共にいる喜びで満たしてください。
この祈りと願いを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。